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キス魔笑顔だ。13
※暴力流血表現※


 他人を思いやる優しさ。前を向いて歩く強さ。間違いを指摘する厳しさ。

 涼一は綺麗な人だ。


 『笑わない。僕は香を笑わない。―――…だって、香は僕の大事な人だから』

 彼以上に綺麗な人を、僕は知らない。





キス魔笑顔だ。




「『穢すな』? ‥ククッ。何だ、お前の中でアイツは神か天使かよ?」

 からかう声色とは対照的な、氷のように冷たい瞳。

 そこに宿る鋭い光は、悪意と表現するには生々し過ぎる。

 この男の目的なんて皆目見当もつかないけれど、ここで冷静さを失っては相手の思う壺だと、僕は怒りを押し殺した。

「―――涼一のことを何も知らないアンタに、涼一を穢す権利はない」

 たとえどれだけの情報を集めても、所詮、情報は情報。

 本人には成り得ない。

 深く関わらずに何もかもを知った気になるなんて、勘違いもいいところだ。

 見ているだけで相手がどんな人間か判断出来るのなら、誰も騙されたり裏切られたりしない。

「僕の親友は清廉潔白、純情可憐、純真無垢なんです、ってか? ―――笑わせんじゃねぇよ」

「ッ、!」

「その可愛いお目目でもっと周りを見てみろよ」

「ぃ゛っ…!!」

「汚れてねぇ人間がどこにいる? 綺麗な人間がどこにいる?」

 潰すように押された鳩尾と、床に押し付けられた頭部。

 どっちがより痛かったのかなんてわからない。

「……神や天使みてぇな人間が現実にいるわけねぇだろ」

 上から落ちてくる声もどこかぼやけて聞こえる。

 それでも、自分が何を言い返すべきなのかははっきりしていた。

「いつまでも夢なんか見てんじゃねぇよ。…お前が何と言おうと、四之宮だって汚れてんだよ」

「――――アンタ、馬鹿だろ」

「あ゛? ……何だって?」

 先程よりも数段低い声が落ち、僕の頭を鷲掴みにしている焦茶頭の手に力が入る。

 何らかのスポーツで身体を鍛えているこの男が本気を出せば、恐らく僕の頭など簡単におかしくなってしまうのだろう。

 けれど、脅すようなそれに僕が怯むことはない。

 暴力に屈するほど可愛らしい性格ではないからだ。

「僕は涼一を穢すなと言ったんだ。汚れてないとは言ってない」

 自由な左手で視界を覆う焦茶頭の右手を掴み、叫ぶ代わりに爪を立てる。

「汚れてないことと綺麗なことがイコール? アンタの中じゃ、神や天使のように真っ白な人間が綺麗なのか? ――人間に夢見てるのはどっちだよ」

「黙れ」

 一度持ち上げてから床に叩きつけられ、塞がれた視界に一瞬光りが散る。

 意識が遠のきそうな激痛に気持ちが挫けそうになったけれど、それでも僕は、この状況で口を閉ざせるほど可愛くはなれない。

「!!! ‥っ、………綺麗だから綺麗、なんて人間がいるわけないだろ! 汚れと無縁の人間を綺麗と言うんじゃない!」

 綺麗なだけの人間なんてどこにもいない。

 多かれ少なかれ、誰もが汚れた部分を持っている。

 闇がなければ光がないように、汚い部分がなければ綺麗な部分など存在しないからだ。

 汚いことを認めて初めて、人間は綺麗になれる。

「自分の汚れを理解し、向き合おうとしている人間を綺麗と言うんだ!!」

 焦茶頭の言う通り、涼一だって人並みに汚れてる。

 いくら『天使の微笑み』と称されても、実際には天使なんかじゃない。

 誰かを憎むこともあれば、暴言を吐くことだってある。

 ――それでも涼一は綺麗な人だ。

 殆どの人が目を逸らしたくなる自分の汚い部分から逃げ出さず、きちんと見つめる涼一は、誰が何と言おうと綺麗な人だ。

 苦悩しても涙しても最後には笑えるようにと前を向く、その姿が穢されていいはずはない。

「涼一を穢すことは許さない!!」

「煩ぇんだよ」

「――ッ!!」

「涼一涼一、って。そんなにアイツが大事かよ? ハッ、所詮ただの他人だろうが」

「っ…、‥」

 脳内を揺さぶられる感覚に目の前がチカチカする。

 殴られたのだと気付いたのは、口内に血の味が広がってからだった。

「四之宮を穢したら許さない? ――どう許さないのか言ってみろよ」

「、…っ!」

 喉元を圧迫され、息が詰まる。

 腕一本で押さえつけられてるのに、両手で剥がそうとしてもびくともしない。

「…ッ……、」

 くそっ、何だってんだ! 何がしたいんだよアンタは!!

 呼吸がし辛い苦しさの中、僕は真上にある焦茶頭の目を見たことを後悔し、胸中でそう毒突いた。

「‥な、…せ……っ」

 だって、わけがわからない。

 突然教室に連れ込み、床に押し倒し、真意の見えない質問を重ね、しまいには暴力で支配しようとする――そんな男が、満足に呼吸が出来ない僕よりも何かに耐えている目をするなんて。

 酸素不足の頭が更に混乱する。

 現在進行形で辛い思いをしているのも苦しい思いをしているのも、アンタじゃない。

 アンタは僕に耐えることを強いている側だ。

 それなのに、何で……。

 何でアンタがそんな目をするんだ。

 まるで何かに酷く絶望し、それでも心の奥底には諦めたくない気持ちがあって、その事実に自ら傷ついているような――。

「アン、タ‥わ、け、わか…、な‥っ」

 消化不良の情報が出口のない脳内に溜まって頭が痛くなる。

 この男は一体、僕に何を求めているのだろうか。

 目としての機能を果たす僕のただの瞳にどれだけ訴えても、遠くにいる誰かを見ることなんて出来やしないのに。





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