※暴力流血表現※ 他人を思いやる優しさ。前を向いて歩く強さ。間違いを指摘する厳しさ。 涼一は綺麗な人だ。 『笑わない。僕は香を笑わない。―――…だって、香は僕の大事な人だから』 彼以上に綺麗な人を、僕は知らない。 キス魔笑顔だ。 「『穢すな』? ‥ククッ。何だ、お前の中でアイツは神か天使かよ?」 からかう声色とは対照的な、氷のように冷たい瞳。 そこに宿る鋭い光は、悪意と表現するには生々し過ぎる。 この男の目的なんて皆目見当もつかないけれど、ここで冷静さを失っては相手の思う壺だと、僕は怒りを押し殺した。 「―――涼一のことを何も知らないアンタに、涼一を穢す権利はない」 たとえどれだけの情報を集めても、所詮、情報は情報。 本人には成り得ない。 深く関わらずに何もかもを知った気になるなんて、勘違いもいいところだ。 見ているだけで相手がどんな人間か判断出来るのなら、誰も騙されたり裏切られたりしない。 「僕の親友は清廉潔白、純情可憐、純真無垢なんです、ってか? ―――笑わせんじゃねぇよ」 「ッ、!」 「その可愛いお目目でもっと周りを見てみろよ」 「ぃ゛っ…!!」 「汚れてねぇ人間がどこにいる? 綺麗な人間がどこにいる?」 潰すように押された鳩尾と、床に押し付けられた頭部。 どっちがより痛かったのかなんてわからない。 「……神や天使みてぇな人間が現実にいるわけねぇだろ」 上から落ちてくる声もどこかぼやけて聞こえる。 それでも、自分が何を言い返すべきなのかははっきりしていた。 「いつまでも夢なんか見てんじゃねぇよ。…お前が何と言おうと、四之宮だって汚れてんだよ」 「――――アンタ、馬鹿だろ」 「あ゛? ……何だって?」 先程よりも数段低い声が落ち、僕の頭を鷲掴みにしている焦茶頭の手に力が入る。 何らかのスポーツで身体を鍛えているこの男が本気を出せば、恐らく僕の頭など簡単におかしくなってしまうのだろう。 けれど、脅すようなそれに僕が怯むことはない。 暴力に屈するほど可愛らしい性格ではないからだ。 「僕は涼一を穢すなと言ったんだ。汚れてないとは言ってない」 自由な左手で視界を覆う焦茶頭の右手を掴み、叫ぶ代わりに爪を立てる。 「汚れてないことと綺麗なことがイコール? アンタの中じゃ、神や天使のように真っ白な人間が綺麗なのか? ――人間に夢見てるのはどっちだよ」 「黙れ」 一度持ち上げてから床に叩きつけられ、塞がれた視界に一瞬光りが散る。 意識が遠のきそうな激痛に気持ちが挫けそうになったけれど、それでも僕は、この状況で口を閉ざせるほど可愛くはなれない。 「!!! ‥っ、………綺麗だから綺麗、なんて人間がいるわけないだろ! 汚れと無縁の人間を綺麗と言うんじゃない!」 綺麗なだけの人間なんてどこにもいない。 多かれ少なかれ、誰もが汚れた部分を持っている。 闇がなければ光がないように、汚い部分がなければ綺麗な部分など存在しないからだ。 汚いことを認めて初めて、人間は綺麗になれる。 「自分の汚れを理解し、向き合おうとしている人間を綺麗と言うんだ!!」 焦茶頭の言う通り、涼一だって人並みに汚れてる。 いくら『天使の微笑み』と称されても、実際には天使なんかじゃない。 誰かを憎むこともあれば、暴言を吐くことだってある。 ――それでも涼一は綺麗な人だ。 殆どの人が目を逸らしたくなる自分の汚い部分から逃げ出さず、きちんと見つめる涼一は、誰が何と言おうと綺麗な人だ。 苦悩しても涙しても最後には笑えるようにと前を向く、その姿が穢されていいはずはない。 「涼一を穢すことは許さない!!」 「煩ぇんだよ」 「――ッ!!」 「涼一涼一、って。そんなにアイツが大事かよ? ハッ、所詮ただの他人だろうが」 「っ…、‥」 脳内を揺さぶられる感覚に目の前がチカチカする。 殴られたのだと気付いたのは、口内に血の味が広がってからだった。 「四之宮を穢したら許さない? ――どう許さないのか言ってみろよ」 「、…っ!」 喉元を圧迫され、息が詰まる。 腕一本で押さえつけられてるのに、両手で剥がそうとしてもびくともしない。 「…ッ……、」 くそっ、何だってんだ! 何がしたいんだよアンタは!! 呼吸がし辛い苦しさの中、僕は真上にある焦茶頭の目を見たことを後悔し、胸中でそう毒突いた。 「‥な、…せ……っ」 だって、わけがわからない。 突然教室に連れ込み、床に押し倒し、真意の見えない質問を重ね、しまいには暴力で支配しようとする――そんな男が、満足に呼吸が出来ない僕よりも何かに耐えている目をするなんて。 酸素不足の頭が更に混乱する。 現在進行形で辛い思いをしているのも苦しい思いをしているのも、アンタじゃない。 アンタは僕に耐えることを強いている側だ。 それなのに、何で……。 何でアンタがそんな目をするんだ。 まるで何かに酷く絶望し、それでも心の奥底には諦めたくない気持ちがあって、その事実に自ら傷ついているような――。 「アン、タ‥わ、け、わか…、な‥っ」 消化不良の情報が出口のない脳内に溜まって頭が痛くなる。 この男は一体、僕に何を求めているのだろうか。 目としての機能を果たす僕のただの瞳にどれだけ訴えても、遠くにいる誰かを見ることなんて出来やしないのに。 NEXT * CHAP |