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――ッ、きゃーっ! きゃー!! きゃーーー!!!

 どんがらがっしゃん。

――んだよ、朝っぱらから叫びやがって、うっせーな…ってはァ!? 何だよこの台所?! 宇宙人の襲来!!?

――トーヤ! 宇宙人じゃなくて黒い悪魔!!

「…………」

――モネ!? 何でお前が台所にいんだよ! 

 がらがらがこんっ。

――うっさいわね!! 文句言ってる暇あったらこの黒い悪魔どうにかしなさいよッ!!

――あ? 黒い悪魔…? ……ぎゃー!! チーちゃん! チーちゃん!!

 ががががずばどごっ。

――きゃーっ!! ちょっ、こっち来るな馬鹿! 死ね! ヘタレ軟派男!!

――うっせーハメツ料理バカ女!! 男全員が虫に触れるなんて思ってんじゃねー!!

 どすどがばたんっ。

――チーちゃん!!!

――チーちゃん!!!

「………………はぁ……」

 チーちゃんこと千早(チハヤ)は、つい数時間前に入ったばかりの布団から盛大な溜め息と共に顔を出した。




noisy colors * day color




「トーヤ、モモ、お前ら――――」

 疲労と睡眠不足で重たい身体を引き摺ってダイニングへと続く扉を開いた千早は、現在進行形で騒いでいる二人の名前を呼びながらキッチンを覗いた瞬間、言葉を失った。

 近所迷惑を考えろ? 俺を寝かせろ? 朝くらい静かにしろ?

 何と言おうとしていたのかすら思い出せない。

 いや、それ以前に、カオスと化しているキッチンの有様に驚きすぎて頭の中が真っ白になってしまっている。

 ………何だこれは。

「―――――」

 調理台やテーブル、床に、溢れ放題の散り放題になっている、調味料のさ・し・す・せ・そ。

 何を作ろうとしていたのか、推測することすら不可能に汚れ散らばっている、フライパンなどの調理器具と原型を留めていない食材。

 現金や金目のものが見つからなかった場合、腹いせとして家の中を思う存分に散らかしていく泥棒もいると聞いたことがあるが、彼らだってここまでやりはしないだろう。

 そんな足の踏み場もない中で、いがみ合いながらも身を寄せ合う者が二人。

 千早の弟と妹だ。

 細い身体をくっつけてぎゃーぎゃー騒いでいる。

「! チーちゃん!!」

 キッチンの入口に呆然と突っ立っている千早に先に気付いたのは、柔らかそうな栗色の髪を少し長めに切り揃えている、弟の十夜(トオヤ)だった。

「チーちゃんゴキ!!」

 十夜の声にバッと入口を振り返った妹の百音(モネ)も、真っ黒のポニーテールを振り乱しながら十夜と同じように助かった!と言わんばかりの声を上げる。

 表情を固まらせたまま千早がギギギと顔を上げれば、言い合ってばかりいた十夜と百音は見事なハーモニーを披露してくれた。

「「ゴキブリ捕まえて!!!」」

 顔が美しければ声も美しいと決まっているか、ヒステリー気味の叫び声でさえも聞くに堪えないとは思わないが、やはりこの光景は見るに堪えない。

 そして、いくら美しい顔で美しい声を聞かされようとも、既に千早の聴覚は周りの音を拾っておらず、ただただ台風が直撃したようなキッチンをその瞳に映していた。

 ………有り得ない。本当に有り得ない。

 長女の百音がカップラーメンすらまともに準備出来ないことは家族の全員が知っているが、本人も自覚しているからキッチンに入ることはあっても料理をするなんてことは当然ないし、クリスマスやバレンタインというイベントの時期でさえ菓子を作ることはない。

 いつも「チーちゃん、お願いv」と満面の笑顔で千早に頼み、自分はラッピングしかしないのだ。

 それなのに何故、こんなことになっているのだろう。

 布団の中で黒い悪魔という言葉を聞いた気がするからゴキブリが出たのかもしれないが、それにしたって百音がこんな平日の朝に料理をしようとした理由がわからない。

 理由がわかったところで過去に戻れるはずもないのだけれど、百音が恐ろしいことを思い立たなければ千早が朝っぱらから泣きたくなる片づけをするハメにはならなかったはずだ。

 俺は何か悪いことでもしたのだろうかと千早は半ば本気で考えてしまう。

 バイトを終えて家に帰って来たのは午前零時過ぎで、それから風呂に入って課題を終わらせ、寝たのは午前三時過ぎ。

 今は六時過ぎだから約三時間の睡眠しかとれていない。

 元々六時半に目覚ましをセットしてあるので起こされなかったとしても睡眠時間は三時間半だが、疲れている人間にとっての三十分は非常に重要だ。

 それなのに――…頭も身体もまだ当然のように休息を欲しているというのに、自分に責任のない始末をしなければならないのか。

 勿論千早は片付けなどせずに出来ることなら今すぐ体温の残っている布団に潜り込みたいのだが、何がどこにあるかを全て把握している自分が率先して片付けなければ今度キッチンに入った時には別の意味で凄いことになっているに違いないので、手伝わないわけにはいかないのだ。

「――――……!」

「んぅ〜、うるしゃいのぉ……」

 突然足に訪れた衝撃にびくりと驚いて我に返る千早。

 取り戻した意識で視線を下げれば、次女で一番年下の零音(レネ)がクリーム色のパジャマ姿で眠そうに目を擦っていた。

「っ、あー……ごめんな、レー。煩くて起きちゃったのか」

「ん〜〜〜、…どぉしたのぉ?」

「何でもないよ。レーはまだ寝てていいから」

 まだ頭がはっきりしていないのか、ぼんやりした目をしている零音の前にしゃがみ込み、千早は頭を撫でてやる。

 百音と同じく艶やかな黒髪は、けれどストレートな彼女と違って緩やかなカーブを描いており、そこにプラスされた寝癖がなんとも可愛らしい。

 細い髪が絡まってしまわないように軽く解いていると、またもやキッチンの中から叫び声が響いてきた。

「きゃーっ!! 飛んだ! 飛んだ! 飛びやがったコイツ!」

「おわっ?! 来んなバカ!! 死ねッ!」

 がんっ、ガシャンッ。

「!!」

 百音と十夜が何かを投げたのだろうか、硬いものがぶつかる音がした後に、何かが割れる音が聞こえた。

 千早は目を見開いて振り返ると同時に立ち上がり、入口の壁を掴んで中の様子を確認する。

「何割った!?」

「「――あ………」」

 焦ったように顔を出した千早に百音と十夜は揃って視線を向け、同じことに気付いたように同じ表情で同じ母音を発した。

 半ば無意識に床に落ちた音じゃなかったと判断した千早は調理台付近の壁に目を走らせる。

 千早が割れたものの残骸を見つけるのと、十夜が小さな声でそれの名前を言うのはほぼ同時だった。

「!」

「チーちゃんのタンブラー……」

「…………」

 やっちゃった…という副音声が聞こえてきそうな声色で呟いた十夜の隣で、流石に気まずいのか百音は口を噤んだまま破片となったものを見つめる。

 十夜が不気味な羽音を響かせるゴキブリに向かって投げつけたのは、二日前に千早が新しく買って来たばかりのタンブラーだ。

 「新しく」という表現がつくのは前に使っていたものが駄目になったということであり、しかもその原因を作ったのは他でもない、十夜と百音だったりする。

 一週間程前のことだ。

 その日の夕方、百音と十夜は既に日常茶飯事と化しているくだらない言い争いをしていた。

 家族が罵り合うという光景はまだ小学二年生である零音のことを考えれば、教育上、決して放置していていいものではないが、手や足が出ても本気で相手を傷つけようと思ってしているわけではないと知っているし、それが似た者同士で素直になれない二人なりのコミュニケーションのとり方だと零音も含めて全員が理解しているので、大抵の場合、まともに参戦しないのだ。

 朝なら「学校に遅刻するなよ」、昼や夕方なら「飯無くなるぞ」、夜なら「ご近所様からクレーム来たら外で正座な」等と、家にいない両親に代わって親となっている千早が二人にかける言葉は、言い争いの内容に関係なく大体決まっている。

 尤も、深く入り込まないのはどちらかに加担することで言い争いが千早の腕の引っ張り合いに発展し兼ねず、余計にヒートアップして時間が無駄になるからだが、この家に住む者から一番好かれている千早が一言何かを言えば殆どの場合は静まってくれるので、どこで覚えてきたのか、八歳の零音に「チーちゃんはかすがいなんだね」とにこやかに途轍もなく微妙な表現をされるような、深刻さは全く感じられない一種の行事となっている節もある。

 ――とまあ、日常茶飯事についての説明はこれくらいにするとして、その日に何が起こったかと言うと……。

 毎度毎度くだらなすぎる些細なことなので当事者ですら既に内容を覚えていないが、身振り言語――所謂ボディーランゲージを使った十夜の手がカウンターの上に置いてあった千早のタンブラーに運悪く直撃し、中身の珈琲を溢しながら鮮やかに吹っ飛んだ結果、真っ二つに割れてしまったのだ。

 その時、カウンターの奥にあるキッチンで夕食を作っていた千早は、割れた硝子の破片と若干凹んでしまったフローリング、十夜の制服の袖に飛沫した珈琲の染みを心配するだけで、一瞬で顔を強張らせた百音と十夜をきつく叱りつけることはなかった。

 だが、手に握ったものがタンブラーだとわかっていなかったとは言え、投げつけて割ってしまったのだから今回は流石に怒られるだろうと、十夜は恐る恐る千早の目を見る。

 ご飯抜きか、お小遣い無しか、トイレ・風呂掃除一週間か、それとも……。

 今までの罰を頭に思い浮かべた十夜だったが、予想に反して千早の顔に怒りは浮かんでいなかった。

 代わりに深い呆れと諦めの滲む顔で、寝癖のない頭をガシガシとかいている。

「……トーヤ、モモ、お前らこっち出て来い」

「「え……」」

「え、じゃない。ゴキブリ嫌いなお前らがいつまでもそこにいたら被害が拡大する」

「「…はい」」

 顎でクイッと廊下を指し示された十夜と百音は大人しく返事をし、脇にずれた千早の横を通って零音の傍へ寄った。





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