参
◆
季節は秋。もう冬と言っても良いかもしれない。
俺は公園に面する、枯葉のクッションが敷かれた歩道を通りながらぶるりと身を振るわせる。マフラーしてないから首が寒くてたまらない。
道路を挟んだ向こうには帝東大学がある。偏差値はそこそこ高く、教授陣も魅力的な良いこの大学だ。ちなみに俺は、ここの法学部に所属中。
「なーおーちゃん」
聞き覚えのある声が俺を呼ぶ。
俺は眉を顰めて振り返った。大学生にもなってちゃん付けされるのは嫌なのだが、こいつはいっつもこうだ。はあ、と思わず溜息が出た。
「幸せ逃げるよ?」
「誰のせいだよ。ばか水木」
「ん、ありがとう。でさー、ちょっと聞いて」
流された。まあ、水木はいつものことだ。
水木は俺と同じ二年生で、文学の奴だ。法学部の俺とはあまり接点がないように思われるが、なぜか校内でも校外でもよく会う。
明るい茶色の髪は地毛らしい。喋るといかにも軽そう、といった感じのこいつは、見た目もそう。甘いマスクに甘い微笑み、すっと通った鼻筋と切れ長の二重などなど、どこか日本人離れしているその顔にかかれば、どんな奴でも落とせるだろう。
まあ、見た目だけで人を判断してはいけない。が、こいつは本当に軽い男だ。女を引っ切り無しに引っ掛けている。
「ミス帝東知ってるっしょ?」
「ミス……ああ、高藤?」
実際にミス帝東を選んだりするような催しがある訳じゃない。でも俺の通う帝東には、高橋という人様より飛び抜けた美人が居るらしい。ちなみに俺はまだ、見たことがない。高藤は理学部の人間らしいので授業を受ける棟自体が違う。だから別におかしいことじゃない。
俺の言葉に水木は頷くと、首を傾げてにこりと笑った。
「デート誘われたの。良いでしょ。ね、良いっしょ?」
「おお、良いなー」
「……棒読みなんだけど」
むすっとした水木がじとりと睨む。
俺はくすくすと忍び笑いをした。こいつはよく女を引っ掛けるが、わざと引っ掛けてるんじゃない。いつの間にか引っ掛かっていて、逆に困ってしまう性質なんだ。実はその本省は軽い男でも何でもない。だから、さっきのこいつの笑顔は苦笑に近い。
「ちょっとぐらい慰めたって罰当たらないよ」
「あのなー、お前こそ当たりだぞ? 相手はミス帝東なんだから」
まあ、物腰の柔らかさからか厭味には聞こえないんだが。
それから俺は、(ミス帝東のあまりの剣幕に断れなかったらしく「なおちゃんを変装させて俺の身代わりにさせる」という馬鹿な提案をしてきたので全力でバレるだろと突っ込むと)ぶうぶうと文句を垂れた水木をあしらって大学の講義へと向かった。
◆
教養科目の中、この講義は断トツでつまらない。
俺は頭のてっ辺が禿げつつある教授を、高い位置にある席からぼうっと眺める。
「つまんないねえ」
隣で水木が誰にともなく呟いた。
この講義に来るまでの間に適当にあしらっていたんだけど、こいつはいつの間にか隣に座っていた。何だか分からないが、俺は何故かこいつに慕われている。
俺は水木の呟きに返事をするでもなく、窓の外を見た。
木枯らしがびゅうびゅうと吹いている。帰る頃もこの調子じゃあ、めちゃくちゃ寒いだろう。
「……ん?」
隣の棟の屋上に人が見える。
俺は目を凝らして確りと屋上を見た。ここはA棟の五階だから、確かあの位置にあるのはB棟のはずだ。そのB棟の屋上には男が一人立っている。
屋上の柵に手をかけて。
俺ははっと息を呑み、勢いよく立ち上がった。
周りの目とかその他諸々を全て無視して机を飛び越す。俺は面倒くさくて、通路を挟んだ一番前の席に座る癖がある。この癖があって本当に良かった。
「ちょっと、そこの君!?」
禿げた教授が声を荒げる。マイクを持ったままだから、キィンと機械特有の嫌な音が講義室に響く。
人命が先だ。無視。
「どうしたの、なおちゃん?」
講義室を走りながら、不思議そうな声に振り返る。やっぱり、そこには不思議そうに目を丸くした水木が見えた。
「人が死にそうなんだ、ちょっと行ってくる!」
俺は水木にそう言い捨て、まだ飛び降りていないことを祈りつつ講義室から飛び出した。
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