紅の女神 ◇◇◇ 今年、最後の秋晴れ。 そう思えるほど、空は天高く青く、雲一つなかった。 アサヒは手をかざし空を見上げ、 「センヤの目と同じ色ね。すごく綺麗」 思ったことを口にした。 今、二人は屋敷の前から離れ、森の方へ向かっている。 赤や黄色で彩られた木が何百本も立つこの森に、紅玉の神はいる。 名をヤガミ。 姿を見た者も、声を聞いた者もいない。 それでもクニの者たちは、祭や豊作祈願の度にヤガミのいる洞窟へお供え物をする。 (みんな、見たことも声を聞いたこともないのに信じているのだから、偉いわよね……) アサヒは姿を見たことはないが、話したことはある。 一回だけであったが。 ヤガミのいる洞窟が近づくにつれ、あまり良い気分ではなくなってきた。 それでも、この森を通らなければ、センヤに言ったお気に入りの場所へは辿り着けない。 アサヒは気持ちを奮いたたせた。 「確かに綺麗だな」 突然の声にアサヒは思わず声をあげそうになった。 「どうかしたか?」 不思議そうに聞くセンヤに、何でもないというように首を横に振る。 (頭の中が別のことを考えていたわ……) 少し反省する。 それから、クニを案内することが目的だったことを思い出し、 「センヤ、ここはこのクニの神の森なの。もう少し歩くと、左手に人一人がやっと通れるくらいの細い道があって、その奥の洞窟におられるのよ」 アサヒの言う通り、しばらく歩くと左に脇道があった。 「アサヒはその神を見たことはあるのか?」 「いいえ。そんな簡単に姿を現すような方ではないわ。でも、一度だけ声を聞いたことはあるの」 アサヒは道の前で立ち止まる。 葉のない木で囲まれた細い道の足場は、人々が長年ヤガミの元へ通ったおかげで危なくなく、しっかりと安定している。 だが、それでもアサヒは自ら進んで行きたいとは思わない。 「……そうか。青蒼の神も、滅多なことでは姿を現さなかった」 ぽつりと呟いたセンヤの顔が暗かったのを、細い道の遠くを見つめていたアサヒは気付かなかった。 「どのクニにも神さまはちゃんといらっしゃるのね」 二人は再び歩きだす。 しばらくすると湖の前に出た。 「ここが私の言っていたお気に入りの場所」 腕を伸ばし、広げた手の平を湖へ向ける。 真っ赤な紅葉で囲まれた湖は人には作り出すことのできない幻想的で厳かな雰囲気があった。 アサヒは座りやすい窪んだ地面を見つけ、そこに腰掛ける。 センヤにも隣へ座るよう促す。 「本当は湖に足をつけたいけれど。――怒られるわね」 「ばれないように努力しても、モミジどのには見透かされそうだな」 センヤの言葉にアサヒが笑い、つられてセンヤも笑い出す。 二人の頭上を鶸(ひわ)が美しい声で鳴きながら飛んでいった。 「――こんなに青い空を見たのは久しぶりだわ」 空を見上げるアサヒに、 「俺がなぜ旅をしているのか知りたいか?」 「え?」 突然の言葉に驚き、隣に座るセンヤへ顔を向ける。 センヤは真っ直ぐな目線で湖を見つめていた。 「今まで誰にも話したことはない。話そうともしなかった。……なのに、今なぜかアサヒに知ってもらいたいと思った」 僅かであったが、地面に置かれたセンヤの指が震えていた。 アサヒも、無意識のうちに衣の襟をギュッと掴む。 「……私、センヤの旅の理由、知りたいわ」 アサヒは、センヤの手に自分の手をそっと優しく重ねる。 その行動にセンヤは一瞬、肩を震わせたが、アサヒの笑顔に安堵の表情を見せた。 センヤは静かに語り始めた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |