紅の女神 ◇ 屋敷の中では、大人が十人も入ればいっぱいになってしまいそうな部屋に、一人の男がいた。 香色(黄土色)の敷布の上にあぐらをかいて座っている。 彫りの深い顔立ちに強い意志を秘めた瞳。 藍色の衣を纏い、首にはヒスイ。 このヒスイの首飾りはクニで一人だけが身につけることのできる特別なもの。 この男が紅玉の長なのだ。 「お客人、ようこそ紅玉ヘ。遠いところ、ご苦労であった」 アサヒは紅玉の長、ハグイの隣へ行き、センヤはハグイの前に立つ。 「センヤといいます。青蒼から旅をしてここにたどり着きました」 「我の名はハグイだ。センヤどのには、睡眠をとる処と食事の用意を約束しよう。そのかわり、今夜我らに旅の話を聞かせてほしい」 センヤはハグイの言葉に頷く。 アサヒはハグイを一瞥した。 旅人に寝床や食事を提供するかわりに見知らぬ土地のことを聞く時代。旅人の話を聞くことが見聞を広める唯一の方法であり、楽しみでもあった。 サワッ 突然、新しい風がはいってきた。 捲くられた出入り口の貝紫で染められた絹の織物。 そこにはハグイの息子で、アサヒの兄であるウルイがいた。 襟元までの黒髪に、精悍な顔つき。鋭い目つきは真っ直ぐ前を見据えている。 「ウルイ、いたのなら何故すぐ来ない?」 ハグイは左の膝に頬杖をついてウルイを見上げる。 ウルイは顔を伏せ、口元に笑みを浮かべた。 「外にいたのです。モミジに聞いて初めて旅人が来たことを知りました」 そう言うと、センヤの元へ進み始める。 ウルイの出現により後ろを向いていたので、真っ直ぐにやってくるウルイと真正面に向き合うことになる。 「はじめまして。おれはウルイです」 自己紹介とともに手が差し出される。 どこか挑発的な態度にセンヤは一瞬、眉をしかめ、 「…はじめまして、ウルイどの。俺はセンヤです。よろしくお願いします」 差し出された手を握る。 次の瞬間、 「…っ……!?」 急に力をこめられ、センヤはまたも眉をしかめた。 ウルイはにこにこと微笑んでいる。 センヤの後ろにいるアサヒとハグイにはウルイの顔しか見えないので、二人の目にはとても友好的に映っているだろう。 (この男……何を考えている!?) 青い瞳を細め、ウルイの思考を探るように見つめる。 しかし、それは無駄であった。ウルイは微笑みを絶やさないままハグイに目礼すると、そのまま去ってしまったのだ。 「あっ、兄さま……」 アサヒの呼びかけも虚しくウルイは完全に消えていた。 垂れ下がった織物が寂しげに揺れている。 「……すまない、センヤどの。父である我が言うのもあれだが、ウルイはなかなか難しい奴だからな。いつもあんな感じなのだ。気にしないでくれ」 ハグイに続いてアサヒも、 「父さまの言う通りなの。でも、兄さま、センヤのこと気に入ったみたいね。よかったわ」 二人の方に振り向いたセンヤは、複雑な心境でありながらも笑顔で頷いた。 今のことは胸にしまっておこう、とセンヤは思った。 「そういえば、父さまはセンヤの目に驚かないの?」 先程、ハグイがセンヤに自己紹介をした時、目について触れなかったことがアサヒは不思議だったのだ。 「ん?……あぁ、さっきモミジが伝えに来た時に言ったからな」 「私がモミジに伝えに行かせたのだったわ……」 納得した反面、父にも自分と同じ驚きを味わってもらいたかったので、少し悔しい。 「どんな事情で来たかは知らぬが紅玉で今までの疲れを癒してほしい」 ハグイはセンヤに向き直り、目元を和らげ言った。 「ありがとうございます」 センヤは礼をし、アサヒに部屋を案内してもらうため、ハグイの元を辞した。 [次へ#] [戻る] |