宿屋の質素な部屋の中。
ジゼルは部屋に着いて早々、二つしかないベッドの片方に入ってしまった。
背を向けて、潜り込むとまるで猫のように丸くなる。
「疲れたから。じゃおやすみ」
「あいつ大人げないな」
「何も言えないね。すいません、ディムロン」
「だからっお前が謝るなよ」
力なく静かに笑いながらエーテルは毛布を持って椅子に掛けた。
「ディムロンはベッドでいいよね。まだ寝ないの?」
「お前は椅子で?」
「ダメですか?」
「いや……そういうわけじゃ」
ベッドと同じく二つある椅子のもう一方に腰を下ろすディムロン。
ふと、思い出したようにエーテルは懐を探り出す。
怪訝そうに見ている視線に気づくと、気にしないで、と微笑んだ。
すぐに胸元から古ぼけた羅針儀を取り出して止まっていた針を廻す。
「それ、何なんだ?」
「ん? 大切なものだよ」
「壊れてるだろ。針が定まらねえ」
ディムロンの言うとおり、針は定まらずクルクルと廻り続けている。
「これは壊れてないよ」
きっぱりと言い切るエーテルにディムロンは、ふーんとつまらないそうに鼻を鳴らした。
「何を指しているのか、わからないのに?」
「わからない、か……可笑しいだろうね」
「まあそんなのなんてことないだろうけど……俺の妹も…」
「妹……妹さんがいるの? それが?」
零したようなディムロンの言葉にエーテルは首を傾げた。
妹と言ったときにディムロンは少しだけ言葉を濁していた。
エーテルがすぐ聞き返すように返してきたのを渋い顔で受け止めている。
「いや、なんてことない……ただ不思議な奴で突然、何か悟り澄ました顔で独り言を言って、それが当たったり。時々、誰かと会話しているようだったり……離れて暮らしてるんだけど、そういうちょっとした問題児」
黙って聞いたエーテルは、一回ジゼルの方をちらっと見てから口を開く。
「それは導術の類いでは……ちょっと違うのかな? 私が知っているかぎり、そういうのは聞いたことないけど」
「詳しい奴も違うとか、そうぶつぶつ言ってた」
「妹さんは神子様とか女神に仕えるの素質があるんじゃない?」
「神子か……でも、無縁だろうな」
腕を組み、意味深長に考え込えてからハハっと笑ったディムロン。
神子は女神に仕える者である。女神によって選定されるが、その大半が特異な力を持っていたと言われる。
己の羅針儀を大事にしまい込んだエーテルは、静かに立ち上がり、天井にぶら下がるランプに手をかけた。
「私が言うことじゃないけど、妹は大事にした方いいよ。家族なんだから。もう、そろそろ寝ないと」
「ああ、それでお前の羅針盤……」
「あれは結局は私の理由で……」
何処かの果てを望むかの表情でエーテルは続ける。
「旅するのも、あれが何を指すのかを知りたいだけで、御師匠がそう。一度だけあれが指し示したことがあるから、ね。あ、君にはまったく関係ないね」
「なあ、俺……あれに」
「さ、寝ますよ。御師匠がいい加減怒りますから。ベッドに行ってください」
どこかまだ言葉に鞘があるように最後に刺を含ませ、追いやられてしまった。
明かりを消される前にディムロンはベッドに入り込んだが、不満げに口を尖らせて、馬鹿と愚痴を零す。
毛布に包まるディムロンを見つめ、エーテルは、そうだねと返した。
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