夢物語と知りながら夢を見ていた
〜精市side〜
「ウォンバイ幸村千和 6−0」
ラケットを片手に微笑む俺の姉さん。
俺の憧れの人…でもある。
全身で呼吸を繰り返す俺に対して姉さんは息ひとつ乱すことなく、俺を捉えていた。
こんなに、遠い………
どうして、どうして…?
「精市」
「!……なに?」
両手は膝についていて、姉さんを見上げた。
ただ俺を無言で見下ろすその姿に、俺は少しだけ悪寒を感じて…息が止まるかと思った。
「お前は俺に勝てない」
「…っ」
今まで、何度か姉さんに相手してもらったときがある。
楽しかった…。
とても、楽しかった。
思えば、これ程まで惨敗するなんて、初めてのことかもしれない。
「精市。俺はお前と違う。どんな容姿をしようが、言葉使いをしようが所詮女だ…それでも、俺は女であることを捨てた。捨てなくては、ならなかった。」
「それは…1年前のあの時の…っ?」
脳裏に浮かんだのは、1年前の…家を出て行ってしまう前日のこと。
あの時のことは未だ昨日のことかのように鮮明に思い出せる。
それだけ、衝撃的だったから…
姉さんが姉さんでなくなってしまう、そんな夢を何度も見たよ。
俺に背を向けて歩きだしてしまう…遠くへ行ってしまうそんな…夢。
「……お前には到底わからないだろうな…俺が俺であり続ける理由が」
“俺が俺であり続ける理由”?
姉さんの言葉を咀嚼した。
言っている意味が、よくわからない。
なんで姉さんは女であることをやめてしまったのか。
それは去ってしまったあの日から何度も何度も考えた。
母さんたちともいろいろ話した。
けれど、決定的な理由にたどり着くことはできない…今になっても。
ただ…
ただ、今目の前にいる姉さんは苦しげな表情を浮かべている。
それが苦しくて…泣きたくなった。
「俺はお前が羨ましいよ、精市。」
泣きそうな顔で笑って、コートから出て行ってしまった。
動揺と色んな思考回路が頭の回転を悪くさせられる。
姉さんを呼ぼうにも、声が喉に突っ掛かって発せられることがなくて。
俺もコートから出て皆のところに戻ったけど…柳が声をかけてくれても…返す言葉すら見つからなかった。
「1年。幸村を休ませておけー」
部長はラケットを持ってコートへ向かっていった。
それを俺は呆然と見ているしかなくて、女子テニの部長の人と練習試合を始めてしまった。
全員が試合に集中している中、俺は試合よりも姉さんが気がかりで仕方がなかった。
ラケットをバックにしまって腰を下ろして声をかけている。
近づいて行ったのは白…というより銀色の髪の仁王。
両手をポケットに突っこんだまま、姉さんに顔を向けずコートに視線を向けたままで会話をしているようだ。
時折、仁王が姉さんの耳に口を寄せて悪戯な笑みを浮かべる。
クスクスと笑う2人は、実に楽しそう。
何を話しているのか俺にはさっぱりわからない。
(…あ、笑った…)
胸の奥から込み上げてくる…嫉妬に似た感情に苛立ちを感じて、拳を作る。
もし。
もし、あんなことがなかったら…俺は姉さんとあんな感じで笑っていたのだろう。
なんて…なんて泣ける、笑えるんだろう。
なんで俺じゃなくて仁王なんだ…
目に見えるその光景に自分がいないことが、こんなに悔しいなんて。
なんで、なんて言葉が口から出そうだ。
「自分が、馬鹿らしいな…」
人知れず、俺は誰にも聞こえない声で呟いていた。
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091222
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