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夏に雪
『はじめまして、なっちゃん』

その後も生徒は居るので勿論、自己紹介は続いていく訳だが、本当に、私にはその後の事が上手く頭に入って来なかった。良く、人間は予期せぬ事態に巻き込まれた時、遭遇してしまった時、そこで起きた出来事を全く記憶出来ないと言うが、今の今まではっきりと信じた事は無かった。しかし、今の私には何より一番に理解出来る事だった。

他の子の自己紹介中にもハルー、だのなっちゃんー、だの声が上がる。空気が変わったのは有り難いが、私自身いまいちこう言った雰囲気を得意とせず、ぎこちない笑顔で応対しながら内心は薄暗い不安でいっぱいだった。
安らぎを求めるようにふう、と息を付く。空気を求めるように窓際を見れば、その席の少しだけ開かれた窓から風が流れ、落ち着いた声色の自己紹介が風に乗せられて流れて来る。

「及川綾実です、宜しくお願いします」

風を感じて居るのか、その子を見ているのか…私の目はその子に向けられていた。
ハルとは違う柔らかい髪、ストレートだけれどもアイロン掛けしたようなしっかりとした固さは無く、風に自然に靡く。落ち着いた茶を混ぜ込んだような黒髪は肩に掛かる長さで揃えられ、ああ、こう言う子が男子に人気なんだろうなと私はぼんやりと彼女を眺めていた。

私の視線に気付いたのか及川綾実はすっと顔を此方に向け何事かを小さく口パクした。口パクなので当然何を言って居るのかなど解らず顔を曇らせれば、彼女はふっと笑い、顔を戻して席に着いてしまった。
残念と言う訳では無いのだが彼女が何事を口にしたのかが変に気に掛かり、後ろのハルがちょっかいを出して居たのにも私は気が付かなかった。

「なっちゃん、なっちゃん、」

ツンツンと背中をつつかれ、私は我に帰って驚きながら後ろを向いた。

「えぁっ!?あ、ごめん、えと…陽野、」

「ハルで良いよ、ね、ね、今日一緒に帰ろーよ!いいでしょ?」

くりくりとした子リスの様な大きな瞳で見詰められ、私は周りの目に焦りながらうん、いいよ帰ろうと約束した。ハルは嬉しそうにやったあ!と声を上げた。私の肩が竦み上がるのと同時に担任からは名指しで二人分の注意が上がった。

「あー、取り敢えず今日はこれで終わりにするぞー。お互い自己紹介しつつ仲間と友情を深めるように。取り敢えず明日持って来るものは書類に書いてあるので忘れずに持って来るように。では終了!」

担任発声の起立、礼、着席が終わった後、封じ込められていたお喋りは解禁され、わっと生徒は会話に沸いた。担任はお喋りが飛び交う中煩わしそうに教卓で書類を整えた後教室を後にした。

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あきゅろす。
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