サビイロ契約
83
一度は珂月を助けに行こうと話が持ち上がったが、浩誠が断固として許さなかった。
シンク・ベルのような巨大な組織に太刀打ちできるわけがないと、浩誠は沈みきった顔で言った。
新宿一の権力を握る五十井に小さなハンター集団が刃向かったところで、痕跡も残さず消されてしまうのが落ちだ。
浩誠は誰よりも珂月のことを心配していたが、ドッグズ・ノーズのリーダーである以上、メンバーを危険にさらすことはできない。
そうしてなにもできないまま、時間だけが過ぎていく。
メンバーの心労も極限だった。
「あ、あがり」
そう言って飛鶴は持っていた二枚のカードを中央に投げた。
珍しく一番乗りだったが、ブーイングの一つもない。
飛鶴はその場にごろりと寝ころび、逆さまに窓の外を眺めた。
分厚い雲で日差しがさえぎられ、今にも雨が降り出しそうな寒々しい空だった。
雲の中にぽつりと黒い影があり、飛鶴は目を凝らした。
影はだんだん大きくなっている。
その影の輪郭がわかるほど近づいてくると、飛鶴は飛び起きたが腰を抜かして後ろに倒れこんだ。
「どうした?」
ほかのメンバーたちはびっくりして飛鶴の視線の先を追って窓の外を見た。
そこには一体の狼型バイラの姿があった。
バイラはまっすぐこのアパートの窓に近づき、ベランダに大きな衝撃音とともに降り立った。
地響きとともにベランダがみしりと音を立てた。
バイラの背からすらっとした影が降りてきて、彼らは凍りついた。
現れたのは背の高い黒髪の青年だった。
彫が深く整った顔立ちで、その切れ長の目の鋭さと言ったら、見た者の骨を真っ二つにしそうだ。
黒いタンクトップに細身のネイビーのジャケットを羽織り、胸元には銀色のペンダントが下がっている。
その場の誰もが彼の正体を察した。
ルザは窓の桟に手をかけ、鍵がかかっていたにも関わらず、いとも簡単にこじ開けて怒鳴った。
「おい! いるんだろ、出てこい!」
硬直する飛鶴たちには見向きもせず、ルザは室内を見回した。
「おい! 浩誠! 隠れてんじゃねえ!」
怒り心頭のルザの剣幕に、誰も口を開けない。
怒鳴り声で目が覚めたのか、隣の部屋からかたりと物音がした。
ルザはさっと浩誠の寝室のドアを睨みつける。
すぐにドアが開いて、ぺちゃんこの髪の浩誠が半目で姿を現した。
浩誠は散らばったトランプと石のように動かないメンバーたちを見下ろし、窓辺に立つルザに気がつくと目を見開いた。
「お前……」
「てめえ!」
ルザは浩誠の胸倉をつかみ、壁に叩きつけた。
浩誠は息が詰まって咳きこんだ。
「てめえ珂月をどうしたんだ!? また俺を怒らす気か! 今度こそ殺すぞ!」
「ちがっ……俺じゃ、ないっ」
「ああ!?」
浩誠はルザの腕をつかみ離させようとしたが無駄だった。
浩誠は半分首をしめられながら、とぎれとぎれに弁解した。
「珂月はっ、五十井に、連れて、かれたんだっ! 俺じゃ、ないっ……」
「五十井?」
ルザは眉をひそめて浩誠から手を離した。
浩誠は首に手を置いて荒い呼吸をくり返し、負けじとルザを睨んだ。
「そうだ……珂月に聞いてないか? シンク・ベルのボスの五十井脩吾だ。そいつがこないだここにやってきて、珂月を無理やり連れていっちまったんだ」
「なんだと? どういうことだ」
「お前との関係に気づかれちまったから連れてかれたんだよ! 今頃どうしてるかなんて想像もしたくないっ。でも俺じゃどうしようもないんだ!」
浩誠は首を振って吐き捨てるように言った。
「助けられるのはお前しかいないんだ。なのになんで来るのがこんなに遅いんだよ! 珂月が好きなんじゃないのかよ!?」
「……当直かと思ってた。あいつ三日は留守にすることあったから。三日過ぎてやっと変だって思ったんだ。おい、珂月は今どこにいるんだ」
「……わからない」
「は? じゃあどうやって助けろってんだよ」
「シンク・ベルの本社のビルなら知ってる……」
「んなもん俺だって知ってる。ったく、使えねえな。もういい」
ルザはきびすを返してベランダに出た。
バイラは前足を折ってルザが乗りやすい体勢を作る。
ルザがバイラにまたがったところで浩誠は窓から身を乗り出した。
「待ってくれ! 俺も行く!」
ルザは浩誠を見下ろし、ニヒルに笑った。
「てめえなんか足手まといだ。俺が絶対助ける」
言い終わるか言い終わらないかのうちにバイラは音もなく飛翔し、東に向かって飛んでいった。
浩誠はすがる思いでルザを見送った。
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