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幻でも…
幻でも… @
遠くに見える山並みを映すその瞳は、
深い悲しみを湛えていた。
知らず口をついて出る小さな溜め息は、
もう何度目の物だろうか…
ふと辺りを見回せばいつの間にか日も傾き、
しんとした室内を朱に染めている。
時のたつのを忘れてしまうほどに、
日がな窓の側に佇みぼんやりと空虚な時間を過ごす事が、
今の凛子の日課のようになっていた。
今一度窓の外を見渡せば、色付いた木々に彩られた山並みの向こうで、
里のために命を散らしたという愛しい人を想う。
切なげにその名を呼べば知らず涙が溢れ出す。
幾ら流しても枯れることのない涙。
胸が張り裂けそうな程の底無しの悲しみ。
会いたい…
それが叶わないのならいっそのこと、
この命絶ってしまおうか…
そんな思いが刹那に脳裏を掠めては、
なけなしの理性が戒める。

ダメよ…そんな事…あの人は望んでない…

小さく首を振り、頬を伝う涙を震える指で拭う。
しかしまた、その涙を拭うと言う所作が、新たな悲しみを呼び起こす。
いつも大きな手が涙を拭ってくれた…
どんなときでも温かく、全てのことから守り慈しんでくれた優しい手…
戻らない幸せな日々がまざまざと蘇っては、
愛する人の不在を残酷にも思い知らされる。
いつかこんな時がくるかもしれないと、
覚悟していたつもりだった。
忍を恋人にすると言うことがどれほど覚悟のいる事なのか、
十分解っているつもりだった…
一般人である自分と、忍でありその中でも特別な血筋の人間であるアスマとの恋愛は、
周りから反対する声や心配する声が後を絶たなかった。
でも凛子の中で、色々な障害や困難をひっくるめて秤に掛けたとしても、アスマを愛すると言う気持ちが勝っていたのだ。
だから、どんなことがあったって大丈夫と、
全て納得し受け入れて付き合って来たつもりだった。
でも…
いざこうして愛する人の死を意識せざるを得ない状況になってみると、自分が何も覚悟など出来ていなかったことを思い知る。
納得なんて出来ない。
里の為に立派に命を散らしたのだと言われても、これこそが忍の本分、
名誉な散り方なのだと諭されても、
そんな事解りたくもなかった。
任務に同行していた忍が、敵の刃によって貫かれ地面に臥したアスマの姿を見たと…
そう報告したのだ。
誰かが遺体を確認したわけではないけれど里が下した結論は、
『殉職』
彼ほどの実力ある忍が、こうも長きに渡って音信不通となれば、
もはや殉職と言う現実を受け入れるしかないのだと…
「会いたい…一目で良いから…幻でもいいから会いたいよ…アスマさん…ねぇ、どこかにいるんでしょ?…生きているんだよね?…アスマさん…」
呟きながら胸元にそっと触れたその細い指がとらえた物は、小さな御守り。
その中には、凛子の左手の薬指にはめられたリングとお揃いの物が収められていた。
付き合い始めて半年の頃、アスマが照れながらプレゼントしてくれたペアリングの片割れだった…


『これ、お前に預けるからよ。帰ってくるまで…その…俺だと思って持っててくれ』

任務に旅立った日、そう言って差し出されたアスマのリング。
凛子にとって幸せの象徴であったこのリングが、こんな悲しい『形見』の品になってしまうとは…

−ー運命の日。

多忙を極めていたアスマが久し振りに半休がとれたと言う事で、2人は夕刻に凛子の部屋で会うことになっていた。
里が忍不足で大変な事態に陥っているという今、恋愛事にかまけている暇などないだろうに、何とか時間を作って会いに来てくれるアスマの優しさが、凛子はとても嬉しかった。
そしてこの日、ずっと伝えられずにいたある大切な話をするつもりだった。
その『大切』な話を聞いたアスマが、どんな反応を返してくれるだろうかと想像しながら、ある意味記念日になるだろうその日に相応しくなる様、家中ピカピカに磨いておこうと張り切っていたのだ。
正式に籍を入れた夫婦とは違うけれど、訪れてくれるアスマが心から寛げる場所となる様に、普段から部屋中美しく調えてはいたけれど。
でもその日は特別綺麗にしておきたくて、わざわざ早起きまでした。
ところが…
軽く朝食を済ませた後、鼻歌交じりでフローリングの床を磨いていた時、チャイムが鳴った。
誰だろうと思いつつ返事をすると、アスマの声が帰ってきた。

『よぅ…俺だ。』

いつもと変わらないはずのその短い返事に、何となく胸騒ぎを覚えたのは、今にして思えば虫の知らせだったのかもしれない。
モヤモヤした不安感を押し隠し笑顔でドアを開けると、そこにはいつもと変わらない様子で立つアスマの姿。
『早かったのね、掃除の途中なの…』
凛子のその言葉はいきなりの抱擁に遮られた。
『悪い、任務が入った』
柔らかな髪に顔を埋め耳元で呟いたアスマの声は、いつもとは違う『何か』を孕んでいる事に気付き、凛子は身を硬くした。
一体どんな任務?
そう訊ねたい気持ちをぐっとこらえた。
任務については聞くのもあかすのもルール違反だと言うことは、良く知っていたから。
『そう…』
一言そう呟いた凛子をアスマは更に力を込めて抱き締めた。
『今度はちょっとばかり長くなりそうだからよ。浮気しないで待ってろよ』
何でもない風を装った冗談混じりのその言葉は、しかし凛子の不安を煽った。

『…馬鹿ね。浮気なんかするわけ無いじゃない。』
いつも通りに返しながらも、その声には不安が滲み出ていたのだろう。
抱き締めていた腕を緩め、優しく凛子の目を覗き込んだアスマは、やがてクシャリと頭を撫でた。
『なによぉ…』
子供扱いするみたいなアスマの仕草に、わざと拗ねたような顔をしてみせた凛子の目の前に、不意に大きな掌が差し出された。
『え?』
そこに載せられていたのは、もう一年以上互いの指に填めていた揃いのリング。
『これ、お前に預けるからよ。帰ってくるまで…その…俺だと思って持っててくれ』
あくまでも優しい目をしたアスマから託されたリングは、今回の任務が文字通り『命を懸けた』任務であると物語っていた…
あの日凛子は、無事に帰ってきてねと笑顔で送り出したつもりだったけれど、その笑顔は寂しげに見えたに違いなかった。
そして、
『当たり前だろうが』
と、ニヤリとしたアスマの顔もまた、凛子の目にはいつもと違ってどこか寂しげに見えたのだった。

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