心を失くした天使2 時は過ぎても、君への想いは永遠に… それからの数日間は、正直あまり覚えていない。私は何日も、何回も警察に呼ばれ、すべての記憶を引き出された。思い出したくないものまですべてだ。 和樹が泊まりに来た夜の辱めと、晃司との体の関係だけは頑なに話さなかったけれど。 警察が出した結論はこうだ。 小学6年生の夏、チンピラ二人とその兄弟、計三人に強姦された私と和也。 精神を病んだ和也は引っ越し先で母親を、そしてチンピラへの復讐の為、空手を会得し三人共殺害。情報提供しようとした私の父を車に轢かせたが失敗。 そして…私を殺そうとしたが、揉み合いになるうち誤って自らの腹部を刺し死亡。 もちろん私達家族は和也の多重人格障害を訴えたが、和也が死んでしまった後では証明のしようがなかった。事件を早く終わらせたい警察にしてみれば、余計な調べ事を増やしたくなかったのだろう、まったく取り合ってもらえなかった。 そうして和也は、日本の犯罪史上最悪の未成年者による連続殺人鬼として闇に葬られた…。 早く終わらせたい警察とは違い、マスコミは連日この事件を取り上げた。私達家族は何日も外出出来ず、警察に呼ばれた時も大勢の報道陣にもみくちゃにされながらやっとの思いで家を出る有様だった。未成年者が関与してる事件だから報道の自粛を、なんてただの建て前であって、実名を伏せる事、テレビカメラに映った際はモザイクをかける事以外はやりたい放題だった。 学校にも行けない。母はパートをクビになる。父の会社は理解を示してくれたものの、最終的には小さな営業所へ飛ばされてしまった。 それでも家族で励まし合い、何とか乗り切ろうとしていた。 しかし…一番最初に心を砕かれてしまったのは私だった。テレビのワイドショーがこの事件を取り上げた時、和也が幼少の頃から動物を虐待死させていたとか、同級生の少女に性的なイタズラをしていたとか、ありもしない事をさも事実であるかのように言っていたのだ。 『くだらない週刊誌や何かがある事ない事デタラメに書き立てる』と父が言ったのはこの事だった。 私は性被害を受け、殺されそうになった少年A。でも和也は徹底的に『生まれつきの異常者』として扱われていた。 死人に口なし…それをいい事に…。 私の声は、どこにも、誰にも届かない。やり場のない怒りと悲しみに毎日泣いた。部屋の家具に八つ当たりもした。そんな私を両親がどれだけ慰めてくれた事か。警察に行って戦おうと言い出した張本人のくせに、私はあまりにも、自分が思うよりずっと弱かった。 事件がようやく風化し始めたと思っても、ネタがないマスコミがまた新しい嘘を報道して、そのたびに私は傷ついた。 中学3年の夏まで、私は完全に引き篭もりになる事を余儀なくされていた。 やはり友達というのはありがたいもので、それなりに親しかった何人かが私が学校に来れるよう手を回してくれた。 そろそろ真剣に受験の事を考えなきゃいけないし、学校で騒ぎにならないよう私に構ってはいけない。性被害に遭ったからってからかったり差別してはいけないなど、事前に徹底して学校中に『被害者を守る網』を張っておいてくれた。 それでもしつこくつきまとう報道関係者からも、登下校中守ってくれたし、その働きには涙が出る思いで感謝した。 それでも…和也を失った穴は決して埋まりはしなかった。 私は過去と向き合う事も、付き合っていく事にも疲れ果て、自分の事を誰も知らない県外の大学へ進学した。しかしどこからか秘密は漏れるもので、いつしか『例の事件の被害者』と知られるようになる。新しく出来た周りの友達は『気にするなよ』と励ましてくれたけど、どこか腫れ物を扱うような気遣いにも疲れてしまい、どうしても孤独になりがちだった。 そんな中、私は同じ大学に通う一人の女性と出会った。彼女は気さくに接してくるばかりか、私に対しての好意が丸出しで、逆に距離を取りたかったけど結局付き合う事になった。 彼女は事件の事を知っていた。私が男に強姦された事(世間的にはそういう事になってる)も。 「私も小学生の時、親戚のおじさんにイタズラされたのがトラウマなんだよね〜」 と、本当にトラウマなのかわからないくらいあっけらかんと言った。後に知った話だと『イタズラ』なんて生易しいものじゃなく、セックスを強要されていたらしい。断れば殴られ、親にバラしたら悲しむぞと脅され、抵抗出来ずに受け入れてしまったそうだ。 結局、その行為中を親に見つかり、親戚のおじさんは警察にこそ突き出されなかったものの、絶縁状態になったらしい。 「でも私は自分が汚いとは思ってない。どうしようにもなかったんだし、昔の事だもん」 正直に言うと、私の事件の方が複雑だと思う。でももちろん、小学生の少女が大人の男に色んなものを奪われたのも大事件だ。 彼女と初めて交わった夜、これまでどんなに強がっても、男の人が怖くて彼氏が出来なかった事を打ち明けられた。同時に、それなのに初めてではない事も。 同じような傷を持つ私なら何かがわかり合えるかも知れないと近づき、そして本当に好きになったとも正直に話してくれた。 私も女性に触れるのは初めてだったし、戸惑いもあった。彼女が小さく震えてるのを見た私は、彼女も決してすべてを克服したわけじゃない事を悟り、何かがわかり合えるという言葉の意味を理解したのを覚えてる。 やがて大学を卒業した私は、父のコネもあって外資系企業に入社した。がむしゃらに仕事をしてヘトヘトに疲れて帰り、食事と風呂だけ済ませて泥のように眠る。そうする事で嫌な思い出を脳裏の隅に追いやっていた。 その甲斐あって出世は早かった。偉くなる事を目標にしていたわけではないが、結果が勝手についてきてしまった感じだ。 付き合いを続けていた彼女を迎えるだけの生活的な余裕も生まれやがて結婚。 両親には彼女の過去を話してないが、気さくな彼女と母は気が合い、よく一緒に買い物に出掛けたり、料理をしたりしていた。海外赴任してからも電話でのおしゃべりはしょっちゅうだ。 私は…母の夢を叶えてあげられたのだろうか。 そして30を前に一人息子に恵まれ、私達家族はようやく笑って暮らせる日を迎えたのだ。 少しだけ脚を引きずる障害が残った父も初孫にはメロメロだ。あまり甘やかさないよう言っても、おもちゃだの服だの大量に買い込んでくるかわいがりぶりだった。 8年間ロンドン支社を任されていた私は、今日3年振りに帰国した。あの事件からもう30年が経つ。 息子の凛叶と二人、地方の名もない町にある海を見下ろせる崖の上の墓所に来ていた。 和也の父親は息子の死後、殺人犯の父親としての責任から逃れる為に姿を消した。その為に和也の墓は無縁仏として寺に建てられたが…やはりどこからか墓を突き止めた悪い連中に荒され、遺骨をばら撒かれる被害を受けた。だから私が遺骨を引き取り、誰も知らないこの静かな場所に墓石を設けたのだ。 前回の帰国の時は仕事が忙しくてここには来れなかったから…実に6年振りの再会だった。 渋る凛叶にも墓の掃除を手伝わせ、花を添え線香を焚く。寂れた墓所に似つかわしくない、我ながら立派な墓石を建てたもんだと心の中で苦笑いした。 「ねぇ、誰のお墓?」 「和也のだよ」 「あ、写真の人か」 私の書斎には和也の写真が飾ってある。これまで何度か凛叶にも話した事があった。 「お前くらいの時に病気で死んじゃったんだ」 「ふ〜ん、可哀想だね」 神社じゃあるまいし、パンパンと手を叩いて合わせ、本人なりの供養を見せたものの、手伝いをしたらスマホを買ってやるという約束で頭がいっぱいのやんちゃ坊主だ。 「先行ってるよ」 そう言って車の所へ駆けて行った。 まったく…来週から初めて日本の学校へ通うというのに気楽なもんだ。でもこれで和也と静かに話せそうだ。 「…ただいま、和也」 私も墓前で手を合わせる。 「長いこと来れなくてごめんな。仕事が忙しくてさ。でも今度日本勤務になったから、これからはもっと来れるようにするよ」 和也に語りかける時、不思議と子供の頃のように話す自分がいる。今は墓前だが、普段から毎日のように写真に語りかけていたからだろう。そう、和也を忘れた日など一日もない。思い出の中では、私も和也も12歳のままだ。 「凛叶ももうすぐ12歳だよ。すぐに和也の事、追い抜いちゃうな」 息子があの頃の自分達と同じ年頃になる。感慨深さは私が父親である証だ。 「それなりに充実してる毎日だけど…やっぱり和也がいないのは寂しいかな…」 一緒に大人になり、ずっと親友でいられると思っていた和也。当たり前だと思っていた事が失われたのはいまだに受け入れられていない。 「…ダメだ、どうしてもそれしか出て来なくて泣きそう」 いつまでもここで話していたいけど、凛叶を待たせてる以上そうもいかない。 「…また来るよ。今度は近いうちに必ずな」 私は掃除道具とゴミを手に、名残惜しみながらその場を去ろうとした。 「陸斗っ」 その時ふいに呼ばれ、まさかと思いながら振り返った。 「…」 そこには和也が立っていた。事件前の、私が大好きだったあの和也がニコニコと笑いながら。 もちろんそれが現実でない事はわかってる。夢なのか幻なのか…どちらでもいい。こんなにも温かい気持ちになれるのであれば。 「俺はいつでも陸斗の側にいるよ。これからもずっと」 「…うん」 思いがけない再会に涙が出た。凛叶が産まれた時以来の嬉し涙だった。 「お父さん、早く〜」 今度は凛叶に急かされ振り返る。 「今行くよ!」 そしてもう一度見た時、和也はいなくなっていた。 「…」 そう、和也はいつだって私の側にいる。辛い時、悲しい時…幸せを想う時いつも。 「じゃあな…」 私はそれだけ呟いて凛叶の所へ戻った。 「早くスマホ買いに行こうってば」 「わかってるよ。でもお母さん反対してるのに何て言うつもりだ?」 「俺が普段からいい子にしてるからお父さんがご褒美くれたって言う」 「…こいつ、自分で言うな」 頭を小突いてやった。 「あ、でもその前に腹減った」 「じゃ何か食べてくか?」 「カツ丼ってやつ食べてみたい!」 海外生活が長かったせいで、凛叶は日本特有の食べ物にあまり縁がない。 「お、いいな。お父さんも久しぶりに食べたいな」 「じゃ行こ行こ!」 私の手を引いて走り出す凛叶。その後ろ姿に和也が重なる。 遠い夏の日、新しい遊び場を見つけては私の手を引き連れて行ってくれた思い出。 和也…いつかそっちへ行く日が来たら、またあの日のように一緒に遊んでくれるかい?夕暮れまで泥だらけになって走り回ったあの日のように…。 それまで幸せでいていいかな?もうしばらく、私は家族の為にこっちでがんばらなきゃいけないから…。 [*前へ][次へ#] |