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君と霧と卵



※グラハム産卵するの巻




















一面の白。



目の前に手を翳してみても、うっすら輪郭を確認できるくらいの濃い霧。



目に見えないくらい細かいミストが髪にまとわりついて、情けなく潰してしまっている。



もっとも潰れても構わない髪型ではあるが。



この霧の色は何と表現すればいいのだろう?



水彩絵の具のようだと言うには不相応な気もする。



暫く見えない足元を探りながら歩き、ポケットの中でグラハムの家の鍵を弄んだ。



あぁ、と気がついて1人膝を打った。



彼の欲望の色だ。










程なくして、いかにも彼の好きそうなメタリックな雰囲気の外観を持つ高級マンションに到着して、卑猥な思いつきを頭の隅に追いやってキーを取り出した。













秋と言うには寒すぎて、冬と言うにはまだ早い時期。



朝早くにグラハムから電話があって、一言



「大至急来てくれ」



と、それだけ。



それだけだがしかし、弱音を吐かない彼にしては珍しい苦しげな声に鼓膜を叩かれて、大急ぎで彼の家を訪ねることになってしまったのだが、生憎のこの天気。



それと、前夜にグラハムと頑張ってしまったせいで重い腰。



こんなことなら、まだ平日だからといって自宅に帰るのではなく、グラハムとベッドを共有すれば良かったと押し寄せる後悔。



車でちびりちびりと用心しながら進んでいたが、あまりに埒があかなくて、結局最寄の駐車場に愛車を留守番させて歩くことにした。




そして今グラハムの家の玄関を合鍵で開けて中に入るが、…どこかおかしい。



何がおかしいかって、彼がパタパタと足音をさせて出迎えに来ないことだ。



いつもなら香ばしいコーヒーの匂いもするはずだが、それもない。



「グラハム?手に上がらせてもらうよ」



返事のない部屋の中に呼び掛けて、霧で湿ったブーツを脱いだ。



ついでに曇ってしまった眼鏡も白衣で拭く。



寝ているのかもしれないと考え付いて、寝室のドアを開けた。




途端、
目の前に広がる映画倫理に反しそうな光景。




薄く開いた足の間から見えるグラハムの最奥への扉と、快感への昇降機のスイッチ。



「カタギリ…」



弱々しく呼び掛ける声はいつになく心細そうで、庇護欲と、それから少しの性的な欲望を揺さぶった。



「それで、どうしたんだいこんな朝早くに。」



冷静さを失わないよう理性のはしっこをしっかり握りしめて、ベッドサイドに腰掛けて尋ねる。



「腹が痛い」



「ちゃんと掻き出して帰ったはずだが」



どうやら僕は見当違いの発言をしてしまったようだ。



彼のぷくっと膨らんだ頬を見て察した。



「じゃあお腹が冷えたんだろう。ほら、何か着て…」


「違う。腹を壊して痛いなら流石に私でも分かる。ただ、何故だか痛いんだ。そして鈍痛と言うか…重い」



何だろう?



鈍痛と言えば女性の生理痛しか思い付かなくて、試しに彼の額に手をあてた。



「凄い熱じゃないか。せめてお腹くらい温めたらどうだい?少しは和らぐかもしれない」



グラハムの平熱は皮膚が覚えている。



今の彼の額から感じる熱は、明らかに平均のそれを越えていた。



「昨晩私に無理をさせた男にはされたくない助言だが、…甘んじよう」



瞳を潤めて、(例え熱のせいだとしても)こちらを見ないで欲しい。



「君が欲しがったんじゃないか」



汗でしっとり湿ったブロンドを撫でてやると、金の扇形の睫毛が、僕にとって危険すぎるグラハムのエロティックな眼球を隠した。



そうして布団をかけてやって様子を暫く見守っていると、突然彼が腹部を押さえて縮こまった。



「うっ…痛ぁ…!」



「大丈夫かい!?」



打たれ強いはずのフラッグのエースパイロットのその苦しみ方は尋常ではなかった。



返事ができないくらいのもがきようで、僕は必死で彼の体を抱いた。



「ひっ…ぅ」



引き攣れたような悲鳴に急かされるように病院に搬送するため端末を握るが、外を真っ白に覆う霧を思い出して舌打ちをした。



これではここまで来られない。



兎に角どうにかしなくては、と痛がるグラハムの手を退けて触診をする。



「ごめん。痛いだろうけど真っ直ぐ寝て」



ころころと転がり落ちていく涙を止めたくて唇に吸い付いた。



「ふ、ぁっ!触るなっ!」



薄くついている筋肉の下を確かめるように強めに押す手を、彼の手が掴もうとしる。



それを掻い潜って撫で回していると若干の盛り上がりを見つけた。



「あぁっ!」



激痛が走ったらしく、肩口をがぶりと噛まれた。



たぶん流血しているであろうレベルの痛み。



が、脳はその痛みよりも見つけた痼についての思考を拾った。



このサイズ、本当に痼ならこうなる前に痛みがあったはずだ。



何よりも体を大切にしているグラハムが今日まで放っておくはずがない。



まして排泄物が腸をここまで圧迫するはずがない。



ならば何だ?



ここまでを一瞬で考えてもう一度触ってみる。



「いたぃっ!」



完全に泣き始めたが構ってはいられない。



白磁の肌が情事の時のように朱に染まっていく。



「かっ、かたぎりっ!」



殆ど悲鳴のような声に、はっとして顔をあげると、彼はとんでもないことを言った。



「でるっ!」



「なんだって!?」



思わず素頓狂な情けない声が出た。



彼の人は涙を止めることが出来ない目を見開いて怒鳴った。



「もぅ…でると、いっているっ!」



「何が!?そうだトイレに…」



ここでその「何か」を出させるのは気が引けて(そんなスカトロジーのような趣味は持ち合わせていない)、そう提案したが、グラハムは動こうとしない。



ただ痛みを逃がすように頭を振り嗚咽を漏らす。



途方にくれた僕は、やはり抱き締めてやることしか出来ず、聞こえたかどうか分からないが、気休めの言葉をかけた。



そのうちに彼の涙を舐め始めると、糊のきいたシーツに皺を寄せていた指をそこから解いて、僕の白衣の背中に食い込ませた。



時折受け流しきれない痛みに弓形に反る背筋を支えてやりながら、涙の湧き出る場所に舌を這わせた。



涙腺をつつき、下瞼を優しく吸って、白目を柔らかく愛撫する。



味蕾に感じるしょっぱさを味わっていると、大きな波が来た。



「ぁぁっ!カタギリ、カタギリっ!」



掛けてやる言葉も見つからず、自分の力のなさと不甲斐なさを心底呪いながら、セックスのときにしてやるように彼の手を取ってしわしわのシーツに押し付け、互いの指を絡めた。



宥めるためと言うより、癖で、と言った方が素直だと思う。



「むりだっ!カタギリっ!でるっ…」



叫びが響く。



がくがくと震える体は、瞬間強張って、腹部が大きく波打ったかと思うと再びグラハムの喉を大音響が蹴った。



「ビリー…あぁぁぁんっ!



何故か僕のファーストネームを呼んだのが少し気になったが、それよりグラハムから吐き出されたであろう血の匂いをさせる「何か」の方が先決だった。



しかし、荒い息をつく腕の中の彼より先に見るのは何だか良くない気がして内腿の中を窺うのは遠慮した。



「グラハム…生きているかい?」



まだ僕に白い喉を曝している恋人に声を掛けると、息も絶え絶えに答えた。



「当たり、前だ…」



僕の白衣の襟を摘まんで、彼は自分の涙を拭った。



僕が舐めた眼球は充血している。



下半身を庇いながらゆっくり上体を起こそうとするのを手伝ってやりながら、ふと窓の外の世界に目を向けると、辺りはすっかり明るくなっていた。



紅葉して半分ほど葉を散らした木が、朝の光を反射して眩しかった。



急にコーヒーが飲みたくなった。



「カタギリ私の中から出たものが見たいか??」



僕の視界の外でごそごそやっていたグラハムがそんなことを言う。



「見ても構わないのかい?」



「あぁ、多少グロテスクではあるがな。…ほら」



ぽんと無造作に掌に置かれたそれを見て受けた驚きを、僕は一生忘れないだろう。



拳よりも何回りか小さい物体には血糊がべったりついていたが、確かにそれは見覚えのあるものだった。



「鶏卵」



グラハムの赤い唇を短い単語が滑った。



「…鶏卵だね」



グラハムの温もりを孕んでいる。



血を指の腹で擦ると、ぬるついてはいるが、あのかさかさの手触りが出てきた。



光を乱反射する。



ああこれはあの霧だ。



グラハムは立ち上がった。



こんなファンタジックな大仕事を成し遂げた体で。



「相変わらずタフなんだね」



彼はちょっとだけ首をかしげて、



「コーヒー、のむか?」



と聞いた。



頼むよ、と答えて崩れた紡錐形を宙に翳す。



この白は霧だ。



この卵は霧であるかもしれない、得てして霧が卵なのかもしれない。



卵から鶏が生まれるのか鶏から卵が産まれるのか、という命題よりも遥かに難問だ。



しかもこの卵はグラハムから産まれたなんて。



「淹れたぞ」



コーヒーの茶色い匂いが鼻腔を刺激する。



もう一度卵を見つめた。



霧を吸い込んだその「何か」はグラハムの温もりを失って、乾いて赤黒くなった血液をこびりつかせて静かにしていた。



「ばかなことを考えていないでほら、」



僕の脳内を見透かしたようなグラハムに、卵の代わりにカップを握らせられる。



湯気は霧にはならず、冷えた寝室の空気に溶けていった。



怒濤のような何十分のグラハムの「出産」の騒がしさから考えると、嘘みたいな静けさが逆に非現実的すぎて、霧だか卵だかのように頭に靄がかかり、指一本動かすのも億劫だ。



大体グラハムは自分から卵が産まれたというのになぜああもけろっとしていられるのか、全く疑問だ。



夢なのかと思い窓ガラスに触れると、冷たくてやっぱり起きていることを確認した。



外の霧はやっぱりない。



焦点をガラスにあわせれば自分が見える。



右肩にグラハムの歯形に傷がある。



そっと指でなぞれば熱を帯びている感触があった。



ため息を一つ吐いて、熱いコーヒーを啜った。



「取り敢えず、この卵、調べないと」



僕の脳内が漏れたのを聞いて、彼は母親のような優しさで微笑んだ。



時計はとうに出勤時間を大幅にオーバーした表示を放っていた。


















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あきゅろす。
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