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爪痕のお話












まずヘッドホンに頭を埋めてお気に入りのテクノポップを大音量で流す。
その時全てをシャットアウトする事を心掛ける。
正月の浮き足だったような笑い声や初詣に行く下駄の音、腕を組んで歩く恋人達の姿を運んでしまうドアも窓もカーテンも閉めきる。
出来るならば心も。

彼のことは絶対に考えてはいけない。
特に昨日の別れについては、絶対に。

なんだか急に寒くなって煙草に火を点けた。
馴染みのラムの匂いが涙腺をつん、とつつく。



「別れたい」

と告げたのは僕なのに泣いてしまった。
もともと遠距離恋愛って凄く苦手だから、近距離に浮気してしまうのは自分の中では当然の流れだった。
不誠実だって分かってる。



近距離の彼は超絶クリエイティブなアーティストで、見た目こそ残念だけど楽しいセックスはできるし年上だから色んなことを教えてくれる魅力的な人。


遠距離の彼は3年続いた恋人だった。
ちんこの形と大きさは良いのにセックスはあんまり上手くない。
ださくって理系の頭はカチカチの理論ばかりで感情論なんて無視する優しくないけちな男。
けれど僕だけを一途に愛してくれる不器用な人だった。



極論、僕は人を愛せない、誰も。
損得で付き合ってしまう。
そんなことを考えてしまう時、行き着く答えはこうだ。



例えばよく言う「貴方と1つになりたい」ということについて、確かに1つになれば離れることはない。
どちらかが先に死ぬこともないし「哀しい」や「嬉しい」を全て共有できる。
けどその「貴方」と出会うこともない。
だからもしかして自分の中にいる出会わなかった「貴方」が私と1つになることを望んだ最愛の人かもしれない。
だから僕は他の誰も好きになれないんじゃないか、と思う。
だから人間は最終的に自分が一番好きなんだ、なんだかんだ言いながら、とも思う。

これって最強のナルシスト?

いいや違う。
最強の弱虫。



紫煙に空間が満たされたから寒さに軋む窓を開けた。
途端、冬の匂いが流れ込む。
外界と僕とを結び付ける有り難迷惑なお見合いの仲介のような。

昼前の澄みきった空。
真ん丸に腫れた白い月が僕を見つめていた。
別れるだいぶ前に見たあの衛星はまだもっともっと細かった。

「ほら」

指差した彼の綺麗な指。
「猫の引っ掻き傷みたいだ」と現実的理系らしからぬロマンチックというかなんというか、冗談みたいな発言に吃驚したような覚えがある。



ちっ、という舌打ちが部屋に充満した。
余計なことばかり思い出す。
明日は久しぶりのデートなのに過去ばかり引きずって。
短くなった煙草をビールの空き缶に押し付けて消火。
こんなものにばかり頼って、僕は相当なコミュニケーション不全で愛情欠乏症の弱虫に寄生された思春期の少年みたいだ。
恵まれない子を気取ってみて優しさを求めて、その実それらを蹴飛ばしているのは僕自身。
単調なテクノポップは皹だらけの心には上手く染み込んでくれない。
慰めの言葉や愛を紡ぐ甘い言葉しか受け付けないひ弱な心。



とか言っちゃって。

とか、何もかも自嘲にしかならない。
答えは出ない。

そうだ、
気になってしまうのはこれだけだ。



この選択は正しかったのか否か。
この選択は利益になるのか否か。



これだけだ。



「意地汚いなぁ」



崩れるように座り込んで鼻を啜る。
せりあがる涙を止める術を知らない。
時間だけがそれを知っている。
汚い僕は汚い僕を悲しんで泣く。
救いはない。



もう一度空の真ん丸い爪痕を見て、急に優しいあの人に滅茶苦茶に犯されたくなった。










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あきゅろす。
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