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(なんてことだ!今日はグラハムの誕生日だったのか!)



もう若くないというのに完徹という偉業を成し遂げて、デスクに突っ伏して仮眠をとったあとだった。

トイレで
「頬に書類の跡がついてますよ。」
と、笑って教えてくれたグラハムの部下らしき男としたとりとめもない会話の中で彼の誕生日を知った。



端末の端に映る9/10の数字。

僕はとんでもない男だ。

おそらく顔面蒼白で、滅多に使わない筋肉をフル稼働して通路を駆け抜けた。

好きな人の誕生日も知らないなんて最低だ。

向かうは仮眠室。

記憶が正しければ昨日の訓練飛行に続いて、今日も昼前から模擬戦に入るはずだ。

仮眠室全体が飛び起きそうな足音でグラハムの金色の頭を探す。

一番奥の隅っこにそれはあった。

肩に手をかけて起こそうとして、はっとなった。

半開きの唇。

仕事の顔をすっかり脱ぎ捨てた無垢な表情。

彼の寝顔はあどけない。

そんな彼を思いやるなら、ここで起こすのはまずいのではないか?

結局行き場のない手に、邪魔になどならないはずの金の前髪を払う役を任せた。

嘆息してデスクに戻ろうと扉に歩きだすと、強い力が白衣を引っ張った。

重力に負けてグラハムのベッドに接触しそうになる。

驚いて壁に手をついた。

真下から声がした。



「それだけか?」



「えっ?」



「それだけかと聞いた」



今はエメラルドグリーンに見える目は完全に開いていた。



「起きていたのかい?」



聞き取れるかどうか、ギリギリの小声。



「君の影が顔に差したから起こされてしまった」



グラハムはむくりと起き出して手早く衣服を整える。

ブランケットを元の通りにセットすると、あっという間に扉の向こうに向かってしまった。

慌てて追いかける。



「それで、何か用があったのだろう?」



漸く自由に会話できるようになって、開口一番そう聞かれた。



「君、今日誕生日なんだろう?」



「…ああ、もうそんな時期か」



「何で部下には教えて僕には教えてくれなかったんだ」



「君が聞かなかった」



「そうだけど…」



「それに誕生日などただの生まれた日だ」



「それを祝うんじゃないか」



彼はやれやれといった感じで肩を竦めて見せた。



「私はめでたいとは思わない。もっとも誕生日とやらに何の感動もないだけだが」



「でも…」



「そもそも子供の時から祝われる習慣などなかった」



ついに僕は黙ってしまった。

あまり触れないようにしていた彼の過去。

孤児院での生活など聞いたこともなかった。

彼のプライドを傷つけたくはないから、ここで謝るわけにもいかない。



「もういいか?」



きっと昨日も飛んだというのに、彼はもう空が恋しいのだろう。

ああ僕のライバルは、きっと空なのだ。

彼が幼い頃から憧れ続けていた空。

空のために軍人になるという人生を決めた彼。

分が悪い。

一先ず今日は退くとしよう。

この天使を空に還してやるのだ。

軽く頷くと、彼はちょっとだけ申し訳なさそうな顔をした。

この微妙な表情の変化を見分けることができるのは、多分僕だけだろう。

遠ざかりかけた背中に、何か声をかけてやりたくなって小さく彼の名前を呼んだ。

しなやかな体が翻る。

気持ち首を傾げている彼に向かって一言。



「産まれてきてくれてありがとう」



一瞬固まった彼は、すぐさま再び背中を向けた。



「君のために産まれてきたわけではない」



金糸の隙間から覗いた赤い耳に驚きながら、僕は呆然と立ち尽くした。



「珍しいものを見てしまった…」



知らず独り言つ。

込み上げてきそうになる笑いを必死で堪えながら、僕の頭は仕事よりも凄い勢いで回転し始めた。

今日が終われば彼も僕も2連休のはずだ。

美味しい日本食のお店を予約しよう。

それから汚い僕の部屋に招待するのは申し訳ないから、いつものホテルのスイートでもとろう。

彼を喜ばせたい。

僕の脳内を占めるのは、それだけだった。

いやいや。

でもまずは彼が翔ぶのが一番良く見える特等席を急いで取りにいこう。

1人でそう脳内会議を終了させると、足早にグラハムを追った。

にやにや笑いが漏れ出て、白衣の裾をはためかせながらスリッパを高らかに鳴らす僕を、不審な目で見る同僚など気にせずに。













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