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埋没のお話












ティーカップの底がザリザリしだすまで砂糖を入れた。
無意識に。
ちゃぶ台を引っ張り出して、フローリングの部屋の隅っこで優雅にアフタヌーンティーだなんて。

「これじゃあ埋没だよ」

涙なんか出なくて、
だけどそれでも僕は歯噛みした。
上手くいかない。
何もかも上手くいってない気がする。
何が悩みか。
それさえ分からない。

大学卒業して、それなりのところに就職したはいいが…

「何への埋没?」

至極のんびりとした調子で、僕からティースプーンを奪った。
不思議の国のアリスに出てくるウサギ柄の小さなティースプーン。
時は金なり…。

「大衆化」

「ん?」

「大衆文化への埋没」

「いいじゃん。ノーマルが一番気楽だよー」

「それ、ゲイのお前が言うこと?」

笑った。

「お前こそゲイじゃん。んで俺のパートナー。ねぇキスしよっか!」

なんで、やだ、
とか少しふざけて彼から遠ざかった。
彼はにやにやしながら適量とおぼしき砂糖をいれた。

「紅茶、ストレート派じゃなかった?」

「真似しただけ」

「大衆化?」

「俺らの枠の大衆化」

区切り方が分からなかった。
区切る必要についても思い当たらなかった。
いや思い当たらなかったこともないが、僕が区切りたいのはそんな卑近のところではなく、グローバル。
そこまで行かなくても、この小さな島国。

「怖くないの?特別じゃなくなって、個性なんて捨て去って、皆と同じで…アイデンティティって一体何?」

一気に紅茶を飲んだ。
甘くて鼻の奥がきな臭くなった。
歯に砂糖があたる。

「辛いのな、お前」

突然ポツンと呟いた。

辛いよ、なんて言わない。

「“特別”になればいいじゃん」

「簡単に言わないでよ」

「すがるものを作れ、俺以外にも。個性は作るものだ。何だっていい。絵だって音楽だって…」

でも、そんなこと言ったってその道のプロはいくらでもいる。
所詮道楽にしかならない。
「だいたいお前は、…」

言いかけ、彼は言葉を切って窓の外を見た。
近所の子供たちが楽しそうに笑いながら駆けていった。
もう半袖の子もいる。
ひら、と一匹紋白蝶が横切った。

「…春は凄い」

知らず感嘆した。
春の影響力からすれば、自分はなんてちっぽけなんだろう。

「自然科学とはベクトルが違うんだよ。母なる大地と人間を比べちゃいけない。」

「アインシュタインもモーツァルトもダ・ヴィンチも春には負ける?」

「そーなるね」

「うん、なんかどーでもよくなってきた」

そうそうそのいきだ

彼は紅茶を飲んで、「甘っ!」と感想を述べた。
感じ方も色々だな。

「味覚も個性」

ウサギスプーンを手の中でクルクル回した。

「俺はお前が好きだ」

「うん」

「お前だけが好きだ」

「うん」

「何でだと思う?」

「んー…わかんない」

「お前だから。小さいけど1つ1つ輝いてる“個性”の集合体であるお前だから好きだ。よってお前は俺にとっては何者にも変えがたいパートナーだ。」

「…くさいね」

「笑うなパートナー」

「お前だって笑ってるじゃないかパートナー」

すっきりした。
訳が解らないけど、なんだかすっきりした。
精神的セックス。
繋がり、結び付き、絆、
それがあればいつまでも“特別”でいられるだろうか?

「さぁ、限りある命だ。存分に愛し合おうじゃないか、俺の最愛の人よ」

首根っこを引っ掴まれてシーツの上にダイブすれば、そこでの区切りは「俺ら」だ。
そこでは最愛で居られる。
かけがえなく居られる。
特別だとか個性だとか、
そういうことじゃない。

彼の両頬を掌で包んだ。

「僕は浅ましいかな」

悩みは吐息になる。

「俺のが浅ましいな」

「なんで?」

柔らかくキスされた。
器用にシャツの釦を片手で外しながら、僕の首を軽く吸った。
恍惚のため息。
肌が露出する。
胸に顔を埋められ、身動いだ。
暖かい粘膜が敏感なところを擦る。

「あ、」

金魚のようにぱくぱく呼吸する唇を彼の指がなぞった。

「俺のが浅ましいなあ…」

「だから、なんで?」

「お前が俺以外の誰の“特別”にもならないように願ってるから、今。」

落ち込んだように、僕の心臓の上に頬を押し当てた。
爪の先で乳首を引っ掛かれる。

ぴく、と反応する全身。

「お前を誰も見なけりゃいいのに。…そしたら誰かにとられることを心配する必要ないのに」

「心配してるの?」

「常に、ね」

困ったように笑う。
彼の固い髪を撫でた。
抱き締めたい。

「僕は…」

「うん?」

「…僕はお前の“特別”であるならいい」

「大衆文化に埋没しても?」

「埋没なんて、誰もしてないんだ」

「そっかぁ」

彼の両腕に絡めとられる。
彼の茶色がかった目に見つめられる。
彼の唇から僕だけへの言葉が紡がれる。

「個性の塊だから好きだなんて嘘だよ。…なんでか分からない。だけど好きだ。全部が好きだ。お前が好きだ、愛してる。てゆうかさっきの俺以外にすがれるものを作れていうのも撤回。俺だけにすがればいい」

その言葉こそ真実に聞こえた。

「お前が好きだから、好きなんだ」

「僕も…」

間髪入れず咄嗟に口走って、凄く泣きそうな顔になった気がした。
何て言ったら良いか分からない。
この込み上げる気持ちを何て言ったら良いか分からない。
僕も彼も、分からないことだらけだ。

「わかってる」

優しく彼は言った。

「言葉じゃ限界があるから、神はセックスという行為をお与えになったんだよ」

いたずらっ子のような笑顔。

「セックスで会話するの?」

「そう。だから神は言語は分断しても、セックスは奪わなかったんじゃない?」

「バベルの塔?わけわかんない」

突拍子もない新たな論に思わず僕も笑いが漏れる。

「わかってよー。だから同性でも、交尾じゃないセックスが出来るんだよー」

「へぇー、まあそういうことにしとこうか」

彼はニヤッと笑って、僕に跨がったまま自分の服を脱いだ。

ばかみたいだけど、
その姿が僕には
かみさまみたいに
見えたんだ。













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あきゅろす。
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