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最愛のお話















久しぶりに踏んだ砂利の道は、靴越しにもあの頃の思い出を僕の胸に押し付けた。

どうにか忘れようとしていたことを、こうやって無理矢理自分でなぞるのはおかしいのかもしれない。

彼の家の植え込みはそのままで、苦しくなった。

時間が止まっていたみたいだ。

律儀に僕の言葉を覚えているんだろう。

この庭が好きだという。




ばかだな。




と心の中で言った。



いや、ばかなのは僕だ。



そう思うと泣きたくなった。

ベルを押す勇気がない。

大体何をしにきたんだ。

彼をふって女と結婚して、子供ができて…。

その子を事故でなくして。

彼女と離婚して。

何をしに来たって言うんだ。

曇天を仰ぐ。



会わせる顔がないのに僕は…。



と、堪えきれなくなったねずみ色の雲は雨をこぼし始めた。

追いたてられているのか。
雨の音は5年前から今日まで僕を追いかけてきたようだ。

意を決してベルに指を伸ばそうとしたら…



「わあぁぁ!」



バタン!と勢いよく扉が開いて僕を壁に叩きつけて、5年ぶりに聞く響く彼の叫び。



「すっ、すいません!大丈夫ですかっ!?俺気づかなく、…て」



尻すぼみの言葉に顔をあげた。

情けなく地面に転がっている僕を凝視する。

雨は酷い。

スーツが台無しだ。


彼は固まったまま動けずにいる。

かろうじて時間が動いているのを感じるのは、彼の少し長い髪から落ちる滴のお陰か。



「ゆうま、さん…?」



震える唇から溢れる僕の名前。



「あぁ」



立ち上がりながら答えた声は、自分でも驚くくらいかすれていた。

彼は取り繕うように無理して笑った。



「洗濯物取り込むの、手伝ってくれますか?」











思いがけない再開。


























「着替え、ありがとう」



シャワーをかりて、僕には小さめの服のお礼を言うと彼は顔をそむけた。



やるせなさが込み上げたが、仕方ない。

自分が作った溝だ。



ただ、このまま帰ってはいけなかった。

決して。



「圭、」



「呼ばないでください!」



泣き声のような叫び。



「俺を捨てたなら、呼ばないでください…」



出来ることなら彼の震える肩を抱き締めてやりたかった。

せめて何か言葉をかけたかった。

今でも愛してると言いたかった。

だけど、それはできない。

何を言ったって嘘のように聞こえる。

何度好きだと言っても…。

違う。

そうじゃない。

僕にはそれすら言う資格はない。



「でもこのまま帰るなんてできないんだ」



「何言って…」



「気持ちをはっきりさせにきた。僕の気持ちを。」



「随分身勝手なんですね!俺なんてどうでもいいなら出て行ってください!5年前からどうだっていいんでしょう!?簡単に捨てれるくらいどうだって…」



「!」



僕は崩れ落ちる彼を抱き止めてしまった。

驚いたような彼の顔を見つめた。



「どうしたらいい…また君といるにはどうしたら…」



独り言のように呟くとそれからはもう、涙しか出なかった。



後悔と切なさ。



笑えない、僕の世間体を気にしていた愚かさ。



「僕は弱かった」



「知っています」



懐かしい気丈な声。



「あなたは弱かった」



啓示のようだった。

もう逃げるなという。



「せめて…話を聞いてくれないか?」












僕たちはソファーに座ってどちらともなく煙草を取った。



涙を押し込めてジッポを鳴らす。



オレンジの火は彼のようだった。



「まだセッタ吸ってるんだ…」



「ええ。俺一途ですから」



「そうか」



言葉と一緒に煙をはいた。



「年をとると涙腺が緩むって本当だったんだなぁ…」



と言うと、彼は今日初めて少しだけ本物の笑顔を見せた。



「そのくらいが丁度いいですよ、前のあなたよりずっといい。」



両足をソファーの上で抱え込んで、視線は部屋の隅。

ぽってりした唇から煙が漏れる。

煙草を挟む指先は几帳面に揃えられた血色のいい丸い爪。

何もかもが懐かしい。



「それで、何しにきたんですっけ?」



「気持ちをはっきりさせに、だ。」



「はっきりも何も、あなた妻子持ちでしょう?」



子供がいたことを知っていたのは驚いたが、きっと共通の友人にでも聞いたのだろうと思えば不思議じゃない。



「いや独り身だ」



「…へえ、それで昔のセフレのところに」



「セフレと思ったことは一度もない」



「俺だって…」



「謝りたかった。バイセクシャルだと周りにバレるのが怖くて君を、…圭を捨てて、結婚したことを」



謝っても、謝っても足りないくらいだ。

彼はまた煙をはいて口を開いた。



「奥さんさぁ、…いい人でした?」



予想外の問いかけに僕は少し慌てた。

が、今さら嘘をつく必要はないと腹をくくって真実に感じたままを話した。



「あぁ」



「じゃあ謝る必要、なんじゃないですか。それに、それなら何で離婚なんて…」



それを話すのは痛みだ。

でも彼には話さなくてはいけない。

話さなくては、あの5年間を自分の中でもどんなふうに感じればいいかわからなくなる。


後悔?


そうじゃない。

そんなわけない。



「子供は死んだんだ。飲酒運転車にはねられて…」



彼は黙っていた。

どんな言葉も、抱えきれない悲しみの前では無力だということを理解しているかのようだった。



「それで私達は互いを見つめ直した。多分、愛し合っていたんだ…だけど、何かが違った。上手く言えないけれど、互いに互いは共に居てもいいが…。そう、ベストパートナーじゃなかったと気づいた。」



彼と灰皿の中で短くなった煙草の火が消えた。

黒い箱の中から細い白が顔を出した。

火打の擦れる音がして、また火は燃え移る。



「そして?」



促す彼の声は優しく落ち着いていて、つかえていた暗い靄がするするとでてくる。



「…そして、話し合って別れることにした。結局、子はかすがいだったんだね、って酒を酌み交わしたよ。そうしたら急に君に会いたくなった」



「俺は…あなたにとって、何なんですか…?」



そういわれて考えた。

昔の恋人じゃ片付かない。



「何なんだろう…」



「それ分からないと、はっきりしませんよ。」



「君は僕の…」



逃げるように灰皿に煙草を押し付ける。

最後の煙がふっ、と立ち上がって、消えた。



「俺が好きですか?」



「じゃなかったらここまでこない。」



「ちゃんと言って」



見たことがないくらい真面目な目。

強いるように、すがるように。



「僕は君に…また愛されたい。愛されたいんだ。僕はまだ君を愛しているから。大切な人ができた。けれど、昔も、今も、誰も君を越えないんだ。僕は今後もそんな人は現れないと確信してる。…こういう言い方は変かもしれない。いつどこで誰が死ぬとも分からないけれど、…それでも僕は確信してる。」



一気に言って息がきれた。

今日はみっともないとこばかりみせてる。

尻餅をつくは、泣くは、…そしてこの始末。

ただ幻滅されないかが怖かった。

妻の代わりだと思われるのが怖かった。



「誰でもない、かけがえのない君だよ。圭。」



殆ど祈りに近い。

彼の茶色の目に射ぬかれる。

見透かせるなら見透かして欲しい。

これ程焦がれていることに気づいて欲しい。

圭だけが必要だと気づいて欲しい。

後悔はしなかった5年間だったが、圭をどんなに思っていたか汲み取って欲しい。

何が嘘でも、これは、これだけは嘘じゃない、と。



「悠真さん、強くなったね。」



「え…?」



「気持ちが、だよ。まっすぐて曲がらなくなった。」



「俺の知らないうちに成長したんだね。…妬けるなー、奥さん。」



圭は目を細めて笑った。



「悠真さん?」



「ん?」



「俺への気持ちを5文字で表してください。」



こどもっぽく、にやっとわらって「余計な言葉はいりません」とつけくわえられた。
僕はそんな言葉を1つしか知らなかった。



「…あいしてる」



その時の嬉しそうな彼の顔は生涯忘れられない。

それくらい、綺麗に見えたんだ。



「俺もです。俺も、5年前からずっと…あなただけです、こんなの…」



「僕も聞きたいんだが、…5文字を」



ほんの少しだけ間があって、彼は泣きそうな顔をして



「あいしてる」



思わずその唇を捕えた。

腕の中で号泣しているのにも構ってはいられず、うっすら埋まった僕たちの溝を確実なものにするように、溢れて溢れてどうしようもない愛を注ぎ込む。

彼がしゃくりあげるのも飲み込む。

涙で塩辛い唇は、今の僕にお似合いだった。



「つ、次、」



「どうした?」



「次、俺を捨てたら、絶対絶対許さない、からっ!…一応、うっ…、寂しくて死ぬかと思…っ、!」



もう何も言わせない。

噛みつくようにキスをした。



「誓って捨てない。一生、圭が嫌がっても僕は離さないから」














後悔はない。

自分は幸せだった。

あの子に恵まれて。

妻もそうだ。

彼女と出会って、幸せだった。

僕の人生の中で必ず出会わなければならなかった大切な人だと思える。

それは“愛”ではあるが、もっと友愛、親愛に近いものだったんだ。



何が一番大切か。



秤にかけることはできない。

けれどこの身を、

この命をなげうってまで、

それでも得たいと思うのは

たった一人の男の愛だった。













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