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5.






床を共にした夜に、松本が明け方を待たず俺の部屋を辞したのは、後にも先にも一度だけ。
翌朝執務室で顔を合わせた松本は、そのわけを問うたところで「目が覚めたのでひと足早く部屋に戻っただけですよ」と、笑うばかりだったのだけど。
その日を最後に松本が、俺の部屋へと足を運ぶことはなくなった。
以前であれば、月に一度。乃至は二度余り、俺との交わりを乞うたのに、あれから三月、四月、半年余りが過ぎたところで、俺を求めることはない。
――ああ、漸く諦めたのか。
終わったのだなとの確信を得て、肩の力が抜けたような気がした。
気持ちに応えるつもりもないままの、随分と長い逢瀬であった。
…ただ、乞われるままに情を交わす。
ぬくもりを。
肌を。
重ねるだけの行為は、いつだって後ろめたさを伴った。
そもそもそんな関係を、俺自ら望んだことはなかった。
そもそも必要ないのだ。
愛だの恋だのと云う、煩わしいばかりの感情など。
誰しもが俺を遠巻きにした、奇異の目で見られたガキの頃。
唯一俺を家族と見做した、やさしく手を差し伸べてくれた、ばあちゃんと雛森以外、必要ないと心を閉ざしたのは必然の結果で。
そこに例え松本であろうとも、入り込むだけの余地はなかった。
――否、部下としてなら幾らも信用していた。心許してもいたのだ。
だが、ひと度その目に俺を『男』と映し出したとあらば、到底無理だ。
気持ちに応えてはやれない。
そんなつもりは俺に一切ない。
知っていても尚、俺へと一時の情けを望んだ女。
これが他の女であれば、一蹴するのも容易かったのだろうが、しがらみ。部下としての情。いろんなものがない交ぜとなって、とうとう拒み切ることは叶わなかった。
「後悔しても知らねえぞ」
――所詮、愛せはしない。
俺はちゃんと言ったからなと前置いてから、俺に圧し掛かる松本の身体を受け留めた。
そうして一線を越えて、いったいどれだけの夜を共にしたのだろう。
寂しげな顔。
苦しげな横顔。
泣き出しそうに笑う顔を、何度この目に焼き付けただろう。
「たいちょ、あたしじゃだめですか?」
どこか悲しげに閨の中、眠る俺の耳元に零した声を知っている。
幾ら抱いても。
肌を重ねても。
心までは交わらない。
平行線を辿る情交に、とうに松本が疲弊し切っていたことだって。
(だからやめとけっつッたんだ)
――けど、それももう終わり。
松本が俺を見限った以上、もうこんな胸の痛みを憶えるようなこともない。
また何ごともなかったように、元の上司と部下のふたりに戻る。
これまで通りの日々が始まるものと思っていた。
――松本、の。
ほんの一瞬、露わになった首筋に。
俺以外の男が残したと思しき鬱血の跡を目にするまでは。
(嘘…だろ?)
どうしてか、その時俺は動揺をした。
信じられないものを見たとばかりにうろたえていた。
(松本に、男が出来た?)
許したのか?触れることを。
俺以外の男に抱かれたのだと思いがけずに思い知らされて、酷く心はざわついていた。
――バカな。
松本が。
あの、松本が?
俺以外の男に心を移す日など、永遠に来るわけがない、と。
心のどこかできっと高を括っていた。
そんな浅はかな思い込みを、今になって思い知らされた。
…許せない。
赦されることじゃないと一度でも、憤りを憶えた自らに、酷く動揺していたのだった。










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