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3.


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*


「お付き合いされていた女性とお別れしてしまったそうですね」


京楽から聞きました、と。
伊勢に声を掛けられたのは、松本の眠る病室を見舞ったその帰りのことだった。
少なくとも日に一度、せめて仕事上がりに顔を出すことにしていた俺と、暇を見つけては松本を見舞うことにしているらしい伊勢とが顔を合わせることは少なくはない。
けれどせいぜいが会釈を交わすぐらいのもの。
向こうから声を掛けられたのは、それこそ――あの日。
松本の病室で見舞いがかち合った、『あの日』以来のこととなる。


――恋、でした?


俺に問うたのは、伊勢だった。
幾ら待っても話しかけても目覚めぬ松本を見舞うことに疲れ切り、どこか遠くを見るような目で、息するように口にした言葉。
きっと俺と松本の、煮え切らないまま続けられてきた情交のことを指して言ったのだろう。
否、もしかしたら松本から、俺とのことで何ごとか、これまで相談のひとつも受けていたのかもしれない。
あれほど足繁く松本の見舞いへと通っていた俺が、今は別の女を傍らに置く。
――そのことを、責め立てたかったのかもわからない。
けれど酷く抑揚のない声で俺へと問うた伊勢の横顔に、俺を責める意図はまったく以って見受けられなかった。
だがそれが逆に、ますます以って責められている――勝手にそんな思い込みに駆られていた。
正直に言うと、少しだけ――伊勢のことを避けていたきらいはある。
だからあれ以来、見舞う時間を意図してずらした。
例えば仕事の上がる時間を遅らせてみたり、早くしてみたり。
時に仕事前に見舞ってみたり、真夜中過ぎに見舞ってみたりと。
それでも松本の元へと通うことを止めなかったのは、一縷の望みを抱いていたから。
俺の声を聞き、霊圧を感じ、目覚めてくれることを祈っていた。
「たあいちょ!」
花開くような笑みを浮かべて、俺のことを見て欲しかった。
その空色の瞳に俺の姿を映し出して欲しかったから。
…まあ、その願いは今日までずっと、無残にも悉く打ち砕かれ続けてきたわけだが。
――あの日。

「どうだろうな」

わっかんねえよ、…そんなズルイ言葉で答えを濁した。
問うた伊勢から逃げ出した俺は、きっととんでもなく愚かで阿呆な男だったに違いない。
何とも思っていないようなどうでもいい、それこそ松本とは似ても似つかない別の女を傍らに置いて、ようやっと自分の気持ちに気付くなど。
(どうりで阿散井や京楽辺りが、妙に憐れんだ目で俺を見ていたわけだ)
雛森に至っては、どこか軽蔑するような眼差しで俺のことを睨んでた筈だ、と。
今更のように己の愚かしさに浮かぶ自嘲。
今は自分の『心』の在り処を痛いぐらいに自覚して、まるで憑き物が落ちたかのようにすっきりしている。
実に晴れ晴れとした心持ちでもある。
真正面から見据えたのは、俺の真意を推し量るように見つめる伊勢の漆黒の瞳。
対峙して浮かべる苦い笑い。
「――ああ。つーか、元々好きで付き合ったってわけでもねえがな」
押し切られるままに隣に置いてはみたんだが、まるで心に響かなかった。
むしろ煩わしいと思うばかりで、惹かれるものなどなかったのだ、と。
言い訳のように小さく零せば、呆れた…と言わんばかりに、大仰なまでの溜息を吐かれる。
「では。また、恋ではなかったと?」
ああ、まったくこいつは痛いとこを衝く。
「お前、隊長格相手にマジで容赦ねえのな」
「そんなつもりはございませんが、不快に思われたのでしたら申し訳ありません」
まるで抑揚なく頭を垂れられて、――ああまったくやり辛れえ。
「ンな心の篭もってねえ謝罪はいらん」
必要ねえよと頭を下げるのを制してから、むしろ詫びるのは俺の方だと前置く。
「――すまなかったな、伊勢」
鈍い男ですまなかった、と。
改めて深々と頭を下げた。
目には見えずとも頭上で伊勢が、ハッと鋭く息を呑む。









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あきゅろす。
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