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11.


「…そう、ですか」
強張る声で、必死にそれだけ返したあたしの暗雲たる面持ちに、果たして気付いているのかいないのか。
あのひとは尚もわらっている。
結局、然るべき家から妻を娶るのが早いか遅いかの違いであって、あたしはこのひとに棄てられるだけの女でしかないのだ、と。
絶望に気持ちが暗く沈んだその時のことだ。
「だから言ったろ。俺にお前以外の女を娶るつもりはねえってな」
なんだ、もう忘れたのか、と。
からかうように耳介へと囁かれ、ハッとばかりに面を上げる。

「言っとくが、親父にはもうはっきりと伝えてある。俺に他の女と所帯を持つ気は一切ねえし、見合いに応じるつもりもねえ。そもそもあいつの腹にゃあ俺の子がいるから、今更父無し子にする気もねえ。それでもダメだってんなら、お前を連れてここを出る…ってな!」

まあ、月の障りじゃすぐに嘘もバレるだろうが、そしたらほんとに家を出ればよい、と。
なんとも暢気なことを言う。
「……バカ?」
「おいおい、バカはねえだろバカは。そこはお前、泣いて喜ぶところじゃねえの?」
なんて、よくも言う。
「それとも何か、お前…『若旦那』でなくなる俺には用はねえか?」
「…ッバカ!それこそそんなわけないでしょが!!」
そうじゃない。
そうじゃなくって。
「っそ…そこまであたしに拘る理由がわからないって言ってんです!」
だって、若旦那はこの見世の大事な跡取りなのに。…それなのに。
こんな六つも年嵩のあたし如きの為に、見世を捨てる?家を出る?
そんなこと、あの旦那様がお許しになる筈もない。
なのにこのひとは、やっぱりどこまでも本気で。
「どこか裏店に塒でも構えて、ふたりで日雇いでもなんでも仕事してりゃあ、食うに困ることもねえだろ。なあに、そんな夫婦はこの江戸にごまんといらあ」
だから安心しろと、呵々と笑う。
意気揚々と口にするではないか。
(え…、ちょ、待って!)
このひと、既に家を捨てる気満々でいるではないか!
「な…んで、そんな」
戸惑うあたしに、ほんの一瞬苦笑を浮かべ、
「しょうがねえだろ、好きなんだ。惚れてんだよ、ずっとお前に。お前はなあ、もうずっと長いこと俺が焦がれに焦がれてきた女なんだ。そんな女をこの手に抱いて、一度だって手に入れて、他の女に今更心なんざ移せるわけがねえだろが。家の為にお前を捨てる?諦める?他の男にくれてやるって?…ッハ!冗談じゃねえ。だったらお前を連れて家を出た方がよっぽどマシだ」
…まあ、苦労させちまうかもしれねえけどな、と。
ぼそりと口にしたその時だけ、どこか不甲斐ないとばかりに自嘲を浮かべた若旦那は、ごめんなってあたしに詫びた。
「だから嫁になんて行くな。傍に居ろ。お前は俺の女だろう」
…なあ、乱菊、と。
懇願するように乞われて、こくりと頷く。
お傍に居ます、と。
どこにだって付いてゆく、と。
抱き締められた腕の中、何度だって繰り返す。
それにあのひとが笑うから。
ありがとうな、と。
大事にする、と。
愛している――と、何度だって繰り返すから。










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