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徒し情 1


「若旦那、どうやら縁談が纏まったみたいですね」
湯屋へと向かう出掛けに、奥様付きの女中でもある七緒にそっと耳打ちをされて息を呑む。
尤も顔に出たのはほんの一瞬のこと。
「そう。おめでたい話じゃない?」
わざとらしくも肩を竦めて、すぐにも動揺を押し隠した。
何でもないことのように取り繕ったあたしに一瞥を投げかけ、尚も七緒は溜息を吐く。
「でしたらすぐにでも関係を清算されては?身も心も傷付くのはあなたでしょう」
「…言ってくれるわね、あんた」
「事実ですから」
既に縁談の纏まった若旦那からしてみれば、あたしのような下働きの女中など、所詮一時の火遊び。
ちょいと見目のいい手近な女にちょっかいをかけただけに過ぎないのだから、と。
相も変わらず手厳しい。
けれどその苦言もあたしを思ってくれてこそ。
わかっているからありがたいと思いこそすれ、反発しようとまでは思わない。
「…そう。そうね、あんたの言う通りだわ。もうおしまいにしなくちゃね」
疲れ切ってしまったとばかりにふうと息すれば、途端憐憫を帯びた眼差しを向けられる。
「いやだ、あんたがそんな顔しないでよ!」
あたしだってそこら辺ちゃんと弁えているんだからと嘯けば、七緒の顔がますます以って泣き出しそうにくしゃりと歪む。
「こんな…こんなことになるんでしたら最初から、あなたを若旦那付きの女中にどうかと、進言なんてするんじゃなかった…!」
心から悔いているとばかりにくちびるを噛んだ七緒に、苦笑で以って「あんたのせいじゃないわ」と否定を口にする。
けれどきっと慰めにもならない。
悔いる七緒の気休めにもならないことは明らかで。
けれども本当に、七緒に責任なんてない。
「何も考えずに流されてしまった、あたしが全部悪いの」
わかり切っていたことなのに。
いつまでも幼い子どものままではないのだ、と。
なのに六つも年下の子どもだからと、なかなか態度を改められないでいた。
こんな、六つも年嵩の女を相手にする筈がないと思い込んで、一線を引くタイミングを見失った。
――結果、あのひとは『女』としてのあたしを望んだのだった。






*
*

いつものように身の回りの世話を焼くあたしの手を取り、告げられた言葉。
「なあ、お前が好きだ」
驚くあたしの答えを待つでなく、塞がれ吸い上げられたくちびる。
…まだ、あたしより幾分低い身の丈なのに。
存外に強い力。
掴まれた腕を振り解くことは出来なかった。
年頃を迎えて、離れに誂えられたあのひとの部屋。
恐らく、あたしを抱くには最適だったのだろう。
何しろ行き来をするのは、極限られた使用人だけ。
況してや身の周りの世話は、長らくあたしへと一任されていた。
だから手折ることは造作もなかった筈だ。
事実、あたしは抗うことをしなかった。
――否、出来なかったのだ。
抱き締められて。
強い、強い力で抱き竦められて、繰り返し耳に注ぎ込まれた熱い息混じりの「好きだ」の言葉。
今にも泣き出しそうな、どこか切羽詰まったような顔をして。
「…いいか?」
と問われて、首を横に振ることなんて出来なかったから。
乞われるままに身体を開いて、受け入れていた。
破瓜の痛みも。
こぼす涙も。
全てあのひとの為だけに捧げたのだった。










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あきゅろす。
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