4. …たったふた月。 あれからまだ、僅かふた月余りしか経っていないと云うのに。 やはり間夫のことなど明かすのではなかった、と。 後悔ばかりが押し寄せる。 何しろ想いを通わせ合ったと思っていた筈の男に、その実、態良く裏切られていたことがわかったばかりなのである。 こんなことなら最初から、素直に身請けの話を受けていれば良かったのだ。 そうすれば、少なくともこんな苦界からは足を洗うことは出来た筈。 況してや相手は大店の総領で、見目も整った年若い青年なのだ。 それも妾として囲われるでなく、お内儀として迎え入れてくれると云う、これ以上ない破格の好条件。 断るなんざ、バカのすることだ。 きっと誰が聞いても同じ事を言っただろう。 (なんて愚かな真似をしたのだろう) 将来を言い交わした筈の男には裏切られ、さりとて身請けの話も流れてしまったとあらば、いい面の皮である。 …ああ、そろそろ酒も底を付く。 もう一本付けるつもりか、それとも今夜はこのまま床へと向かうのか。 はたまた縁切りを言い渡されるのか…。 いずれにしろ、切り出すとすれば今しかない。 そう考えて、意を決する。 「あの…日番屋様」 「なんだ、花魁」 呷った杯を台へと戻し、漸く目が合う。 「その…先日のお話ですが」 遠回しに切り出したところで、「身請けの話か?」とすぐさま問い返される。 その様子から、どうやらあちらも、こちらから切り出してくるのを見計らっていたようだった。 そんなやり取りに、ほんの少しだけ極まりの悪さを感じながらも、あたしはそうですと頷いた。 「どうした?漸く身請けされる気にでもなったのか?」 まるで、あの日。あの夜のように。 からかうように言ってから、ゆうるりと口角を上げて、くちびるを歪める。 酷薄に笑って見据える瞳。 空になった杯を満たす酒の一滴も無くなった今、もう一本お付けしますかと問うたところで、必要ないと手招かれた。 「酒はもういい。お前が欲しい」 こないだは抱き損ねちまったからな、との直截的なその言葉に、戸惑いながらも立ち上がる。 縁を切られるわけではないのだ、と。 胸中ホッと安堵しながらも、そっと傍へと身を寄せる。 ――美しい男だと思う。 改めてその相貌を眺めておもう。 煌びやかに着飾った、妓楼のおんな達にも見劣りしないだけの美貌を持った、美しいひと。 初めて登楼した時から他でもない、あたしだけを贔屓にしてくれて。 惜しみなく金を使っては、足繁く通い、あまつさえ内儀にと望んでくれたひと。 この苦界から抜け出すための道を示してくれたひと。 例え身体を許したところで、心までは許すつもりなどなかったけれど。 たったひとつの生きる為の『糧』を失くした今、この男の誘いに乗って、流されてみるのも悪くない。 いっそ身を委ねてしまえば、楽になれるに違いない。 そんな打算の元に頷いていた。…今度こそ。 「ええ。お受けしたいと思います」 そうして深々と頭を下げたところで、強く掻き抱かれていた。 → [*前へ][次へ#] [戻る] |