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3.


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――あれから、ふた月。
何食わぬ顔をして再び楼へと上がり、今この部屋で杯を傾けている男の顔をそっと盗み見る。
身請けをしたい、と。
最初にこの男から話を持ちかけられたのは、彼是三月余りも前のことだった。
無論、あたしにそんなつもりはなく、「あたしは妾になるのなんて御免ですから」と笑ってそれを往なしはした。
身請けされるつもりはない。
それでも上客と呼んで差し支えないこの男の機嫌を損ねるつもりはなかったから。
囲われ者になんてなるぐらいなら、いっそこのまま一夜限りの妻でいた方がマシだ、と。
口八丁に誤魔化した。…つもりでいた。
けれどそのまたひと月後に楼へと上がったこの男は、よりにもよって今度は内儀として迎える準備が整ったから、安心しろとのたまったのだ。
これにはさしものあたしも驚かなかった筈が無い。
何しろ男は、豪商と名高い廻船問屋の総領なのだ。
ゆえに、そんな馬鹿げた話がある筈もない。
そもそもこんな女郎上がりの女をお内儀に、なんて。
どう考えても周りが納得する筈もない。
だがそのすべてを説き伏せてまで、このあたしを身請けしたいと言ってくれたのだ。この男は。
まるで夢のようだと思いはした。
花魁なんぞと呼ばれようとも、所詮は女郎でしかない身。
(それが、お内儀?)
それも、こんな大店の。
しかも男はまだ年若く、男ぶりだってなかなかのもの。
誰もが羨むような話だったのだ。
だがそれでも結局は、首を縦には振らなかった。
…裏切ることは出来なかったから。あのひとのことを。
あの約束を、なかったことには出来なかったから。
だから結局、好いた男がいることまでを。
将来を誓い合っていることまでをも、男に明かしてしまったのだった。
そんな話をしてしまったからだろう、結局床入りをすることもないままに、あの日見送ってしまった背中。
あれからふた月余りも男が姿を見せなかったことに、少なからず動揺をしなかった筈もない。
よもやもう別に馴染みを作って、その女の元へと通い詰めているのではないか。
否、仮にそうであったとして、今のあたしに何を言えるわけもない。
況してや責め立てるなど以ての外。
そんな不安に駆られた日々。
けれど男は今日になり、やっと見世へとあがってくれた。顔を出してくれたのだ。
ホッと安堵すると同時に、また別の懸念が鎌首をもたげる。
最早身請けの話自体が流れてしまっていてもおかしくはない、今もまだ。
果たして男は、あたしをお内儀に…と。
望んでここに居るのだろうか。
それとも最早、これを最後に縁を切られてしまうのだろうか。
そのためにここに来たのだろうか。
――聞きたいことは幾らもある。
けれど男は話を蒸し返すようなこともなく、ただ淡々と杯を傾け、台の物に手を付けるだけ。
辛うじて口にするのも、当たり障りのない軽口ばかりで、もしややはり…身請けの話はなかったことにされているのかもしれない、と。
今更のように臍を噛む。










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