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3.


「けど、マジでこれ以上痩せるようなマネはするなよ。冗談抜きで母さんが心配する」


じっとりと汗ばんだ肌もそのままに、ぎゅうと抱き締められて開口一番、さっきの話を蒸し返された。
挙句、痛いところを衝かれて「うぐ」と返す言葉に詰まる。
こーゆー時のこの子はなかなか容赦無い。
(まあ、普段から割と容赦の無い子なのだけれど)
「今だって。母さんも…親父だって、お前の『一人暮らし』に賛成してるわけじゃあねえんだからな」
「…とーしろーも?」
思わず問うてしまってから後悔をした。
そんなことは今更聞くまでもなかったのに…。
思った通り、不機嫌な顔もそのままにひょいと片眉を顰めたあの子は、ふうと小さく溜息を吐くと。
「まあ、平日会えなくなったのは正直痛てえけどな」
存外素直に不満を口に出されてしまったものだから、あたしも「ごめん」と謝ることを余儀なくされた。
漂う不穏な空気から、あの子の真っ直ぐすぎる視線から、まるで逃げ出すようにあたしは目を伏せていた。
だけど逃げ切れる筈もない。

「つっても、その分週末こうして気兼ねなく抱けるのは悪くねえとも思ってる」

不意打ちのようにあまく耳元に囁かれ、反射のように見上げたところで再び絡め取られたことを知る。
到底敵う筈のない器。
七つも年下である癖に…。
だからやっぱり、もう一度。
「ごめんね」と。
あたしはあの子に詫びていた。


やがて互いの汗も引いた頃、不意打ちのようにブルリと震えたベッド脇の携帯電話。
情事の余韻を遮るようにメールの受信を告げたそれに腕を伸ばす。
予想通りと云うべきか、届いていたのは所謂ダイレクトメールでしかなかったけれど、ついでのように確かめた時刻は既に10時を大きく回っていた。
これからシャワーを浴びて着替えをして…そう考えたら、幾らなんでもそろそろ腰を上げないと終電にだって間に合わなくなる頃合だった。
「ねえ。今日はどうする?さすがに帰る?」
なんと云ってもテスト前だものねえ。
そう思って話を振ったのだけど、傍らでミネラルウォーターのペットボトルを煽っていたあの子は、さらりとひとこと。
「いや。連れンとこ泊まるっつッて出てきたから」とのたまったから、絶句した。

「テスト前なのに?」
「テスト前だからな」
「………。」

何とも意味ふめいな屁理屈である。
「意味わかんないわよ。アンタ、それ」
笑って詰ったあたしに釣られるように、盛大に噴出したあの子も今や高校二年になった。
あたしはあたしで商社に勤めるOL2年目で、就職と同時に家を出た。

別段、家から会社に通うのに不便はない。
毎朝ちょっとだけ早起きをして、電車とバスとを乗り継いで、それで充分通える距離だった。
それでも一度ぐらいは一人暮らしを経験してみたいからと、渋る両親を説得をして。
何より大いに臍を曲げたこの子の機嫌を取って宥めては、言い聞かせた挙句の『一人暮らし』であることに間違いはない。

「…逃げるのか?」

誰から、とも。
何から、とも。
明確に口にすることはなかったけれど、あの頃「就職を機会に家を出ようと思うの」と打ち明けたあたしに向けて見せた、烈火の如くの危うい眼差し。
暗く翳ったあの子の瞳は、実に雄弁だったと思う。
だからあたしはそうではないとわかって貰う…ただその為に、唯一あの子にだけこのアパートへの出入りを赦したのだ。
「平日は思うように会えなくなるけれど、週末になればずっと二人でいられるでしょう?」
そんな、あまい誘惑で以って。
この『関係』から逃げるわけではないのだ、と。
二人、離れるためではないのだ、と。
置いてゆくあの子にわかってもらえるようにとあたしは必死になった。ただひたすらに言い繕った。
「あたしがこの家を出さえすれば、思う存分抱き合えるようになるでしょう?」
この先もずっと一緒にいられるように…その為に今、あたしは家を出るのだ、と。
諭して漸くあの子は納得をした。してくれた。
尤も、恐ろしく不承不承ではあったのだけど。



*
*

それでもやはり、親に隠れてひとつ屋根の下息を潜めて身体を重ねることに、いい加減あたしが限界を感じていたのは事実でもあった。
家族で居ても、時折あたしへと向けられるあの子の熱を帯びた視線に気付いて肝を冷やしたことも2,3度ではない。
…冬獅郎のことは好きだった。
(当然だ)
それでも今はまだ、家族の平穏を壊す時ではないとも感じていた。…痛いぐらいに。
だからあたしは家を出た。
父がいて。
母がいて。
あたしがいて、あの子がいる。
そんなありふれた日常…平穏な日々に亀裂を入れたくはなかったから。
だけど同時にそれが『建前』であることもあたしは知っていた。

―逃げるのか?

そう問い詰めた、暗く凍てつくようなあの子の視線が不意に脳裏を通り過ぎる。
本当に。
憎たらしいぐらい、どこまでも聡い子供よねえ。
自嘲のようにくちびるを歪めて笑ってあたしは、乱れた髪を掻きあげた。
ああ、そうよ。
距離を置きたかったのよ。あの子から。
あの子の視線から。眼差しから。
心地良くも苦しい束縛から…。
あの子の指摘はちゃんと的を得ていた。
誤魔化したのはあたしだった。
(だけど、しょうがないでしょう?)
どうせタイムリミットは目に見えている。
恐らくこの『関係』は、持ってあと一年と云うところだろう。
やがてこの子は進学をする。
もっと広い世界を知ることになる。
その時になればあたしのことなど忘れたかのように、きっと見向きもしなくなるだろう。
否。
そうでなくともきっと、親には打ち明けられない。話せない。
どの道行き詰まり、破綻するのは火を見るよりも明らかだった。
だからあたしは道筋を示したに過ぎない。
こうして距離を置くことで、互いの内に一人の時間を作り出す。
そうして少しでも冷静になれるように。互い、頭を冷やせるように。
少しでも個々の『世界』が広がるように。
いずれあの子が外の『世界』にも目を向けて、容易に旅立つことが出来るように。
いちいちあたしを気に留め、振り返らずとも済むように。
少しでも別れの後味の悪さを軽減出来るように。
いつおしまいの日が来たとしても、一人ひっそりとあたしが泣ける場所があるように…。

(だから、せめてそれまでは)

それまでは思う存分好きなようにさせてあげよう。
どんな我がままも欲望も受け入れて、共にこの『関係』に溺れていよう。
そう思って、望まれるがままに週末ごとの情事もあの子も受け入れてきた。
決して咎めるような真似はしなかった。


…なのに。
いったいこれはどうしたことか。
広がってゆく筈のこの子の『世界』は、更に視界を狭めているような気がしてならない。
こうして逢瀬を重ねるたびに、身体ひとつに繋げるたびに。
更に強まるあたしへの執着。
痛いくらいの束縛の跡。
表面上は何ひとつとして変わらないのに、確かに何かが変わっている。
不自然に歪んだ歯車。
噛み合っているようで、噛みあっていない。
カチ、コチ、と。
耳に酷く引っ掛かる。
それはまるで、ノイズのように。
ざわざわと、あたしの心に波紋を落とす。





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