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百億の夜とクレオパトラの孤独 3


「いよいよだな」
「ですねえ」

まもなく式は滞りなく執り行われることだろう。
今日を以ってあたしは『松本乱菊』から『日番谷乱菊』となる。
このおとこの…妻となる。

見上げた先、不意につと窓の外に走らせたあのひとの視線。
釣られるように外へと視線を投げかけて、眩いばかりの陽射しにあたしは目を眇めた。
太陽の光を受けてきらきらと光る初夏の木立を「綺麗ね」と賞したあたしに、「もし…」と頼りなく前置いて。

「もし、別れた男が今、お前を連れ去りに来たらどうする?」と。

唐突にあのひとが口にした。
その思いがけない夢物語のような問い掛けに、一瞬思わず瞠目をして。
それから意地悪に笑ったあのひとの顔を、あたしはジロリと睨みつけた。
「ばかばかしい」と。

「ありえませんから、そんなこと」
「そうか?俺ァ今日が来るまで、お前に逃げられちまうんじゃねえかって結構肝冷やしてたんだがなあ」
「あら、見かけによらず想像力が達者なのね、貴方って」
「どうせなら繊細と言ってくれ」

喉を鳴らしてくつくつと笑う日番谷の肩口に、こつんと頭を預けて顔を見合わせ、あたし達は小さく笑い合った。


…そう。
ありえないから、そんなこと。
もし…嘗ての恋人がそんな愚かな真似をしたところで、今更この手を振り解き、あたしを棄てた男の元へと走るような真似はしない。
(だって昔観たあの映画の恋人達も、きっと後でものすごーく後悔したんじゃないかと思うのよ。ラストシーンのあの顔は)
でもね。
日番谷の指摘した通り、ちょっとした未練はあるのよ。本当は。
だけどきっとでそんなあたしの弱い心内までお見通しなのだと思う、このひとは。
(こうして前以って釘を打ってくるのが良い証拠じゃない?)
まあ、そんな意外に小心なところも可愛いかな?って最近では思っているんだけど。



そうして廊下が俄かに慌しくなり、式が始まるまで後30分ほどに迫ったその時のことだ。
不意にあたしの携帯の着信が鳴った。
日番谷の眉間に深い皺が寄る。
あたしもゆっくり視線を流した。

「鳴ってるぞ、携帯」
「…ん。ちょっと待っててね」

ついと日番谷の肩を押し戻しドレスの裾を翻したあたしは、バッグの中から携帯を取り出し着信を見た。
『090』で始まるその番号は、あたしの携帯のアドレスには未登録のものだったから、相手の特定は出来ない。
鳴り響く携帯を暫し眺めてから、だけど結局あたしは手にしたそれをバッグの中へと仕舞いこんだ。
「出ねえのか?」
日番谷に訝しげに問われてあたしはにっこり微笑んだ。
「ええ。だって知らない番号だもの。無視するわよ」と。


着信はなかなか鳴り止まなかったけれど、あたしは呼び出しを無視して日番谷の胸へと再び頬を預けた。
番号、は。
携帯には未登録ではあったけれど、その番号にあたしは確かに見覚えがあった。
(当たり前だ)
消したばかり、なんだもの。
まだ…ふた月前に。
どうしても消せなかったあのひとのアドレス。
忘れられないまま、頭の片隅で燻る記憶。
日番谷との結婚が決まってからも、本当は…少しだけまだ、迷っていた。
望まれるままに流されることに躊躇していたのだった。
それでもさすがに半年余りも時間が経てば、色鮮やかな記憶も、過去の思い出も、全て黒く塗り替えられる。
黒く塗り替えたのは、日番谷だった。
そうしてその上に新たに鮮やかな色を落としたのも、日番谷なのだ。
元々同じ部署で仕事をしていた気心知れたひとだもの、尊敬だってしていたひとだもの。
戸惑いつつも、恋情を抱くまでにそうそう時間はかからなかった。
(そりゃあ、さすがに付き合って僅か2ヶ月でプロポーズとか、正直若干引きましたけども…)


それでも嬉しかったことに間違いはない。
その情熱を喜ばなかった筈もない。
だから消したのだ、アドレスを。
嘗ての恋人の痕跡を。
想い出も消した。
…未練さえも。
それでも尚、残されたほんの僅かな蟠りと心の燻り。

けれど、今。
それすらも払拭されたことに感じる安堵と解放感。
この電話であの男があたしに何を伝えたかったのかまではわからない。
けれど今更知る必要もない。知りたいとさえも思わない。
それでも式を挙げるこの間際、あの男はあたしを想い出した。
想い出して、こうしてわざわざ電話を寄越したことで、あたしの中では全て片が付けられたのだ。
あのひとへの蟠りも未練も執着も、全て清算されたのだ。


「なんだよ、急に機嫌がいいなお前」
「そりゃあ、今から貴方との結婚式ですもの」
「フーン。…なら、いいけどな」


苦笑を浮かべた日番谷の頬に、ちゅっと軽くくちづける。
薄っすらと紅を移した、男にしては色素の薄い頬。

「幸せにしてね、とーしろー」

そっと指でなぞって微笑むあたしに、日番谷の薄いくちびるがゆっくり弧を描く。



やがて携帯の呼び出し音はプツリと途切れ、あたしの目には日番谷しか映らなくなる。日番谷の声しか聞こえなくなる。
そうして今再びメロディを奏で始めた携帯をその場に残したまま、晴れ晴れとした顔で日番谷と共にあたしは控え室を後にした。




end.


てゆーか、白状しちゃうと『卒業』ってオイラ見たことないんですけども。(←すんません;)地元新聞の映画批評?みたいのでそのラストシーンの考察を読んだ時にぽわんと浮かんだコネタ。
概ねいつも通りの書いてる自分だけが楽しいコネタですんません;;なんとなくダークっぽい雰囲気の日乱が書きたかったのと、今現在激しくパラレル萌えしてるのとか諸々な妄想の成れの果てと思って頂ければ。
あと、女子は精神逞しく図太くちゃっかりしてるぐらいがいいと常々思っているひとなので!(笑)
何かもう社会一般的な役職と年齢がかけ離れた設定になってる気がしないでもないですが、隊長は天才児なんだし若くて部長でももういいだろ!みたいなありえなさですがそこはスルーでお願いします;;
うん、ぶっちゃけ元は係長設定だったんだけどね、これ…(苦笑)

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あきゅろす。
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