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2.



ああ、この女には好いた男がいたのだな、と。
その顔を見てすぐに悟った。気が付いた。
尤も女は気持ちを押し殺し、周囲に…俺に、隠している様子ではあったのだけど。
店の手代の若い男。
時折顔を綻ばせては親しげに話をしている様を、見かけてすぐに察せられた。
漂う空気に。
色付く頬に。
このおんな、が。
この店の手代に懸想していることに。
また、それを後押ししたのが、偶然見つけた『艶書』に他ならない。
ひっそりと。
書きしたためては本の間に挟み込み、放置されたと思しき一通の艶書。
手代へと向けて書き記されたその艶書の筆跡は、明らかに妻である女のものだった。
恐らく、渡すつもりなどなかったのだろう。端っから。
愛しい男を恋い慕う、女の切ない心の内を延々と綴ったばかりの艶書。
それを眺めて、俺は幾度ばかりかの溜息を吐く。
年の頃は釣り合っている。
(年の離れた俺よりか、幾分見目も釣り合うだろう)
仕事の腕も確かだろう。
(事実、傾きつつあったこの店を、それでも何とかここまで切り盛りしているのはあの手代に他ならない)
…ならば俺は身を引くべきか?
傍らで、今尚ちくちくと針を動かす女を横目に見遣りながら、ひっそりと胸の内で自問する。
手代にしたってこの女のことを憎からず思っているのは明白だった。
ただ、主人の娘である。
自身は奉公人の身であるからと、恐らく一線を引いて接していただけに違いない。
いずれ店を建て直し、その功績を盾に娘との結婚を主人に認めてもらうつもりでいたのではないかと思われる。
だが、店は傾くばかり、借金は嵩むばかりで手の施しようもなくなった。
そうこうしてる間に今度はこの女の縁談が纏まり、とうとう手までも出せなくなった。
(大方そんなところではなかったのか…?)
そんな詮無い妄想、嫉妬に駆られ、薄らぼんやりと物思いに耽っている間にどうやら裾を縫い終えたのか、しゅるりと玉を作った女がぷちんと糸を歯で噛み千切る。
「やっとで終わりか?」
「不器用なんですよ、すみません」
問うた俺の言葉に顔を赤らめ、ぶっすりと告げた女の手から繕い終えた着物を取り上げ一瞥する。
なるほど、不器用なのが如実な縫い目だ。
一瞥してから、脇へと避ける。
「手間を掛けさせたな」
「どういたしまして」
にっこり微笑み裁縫道具を片付け始めた女の背中を目で追って、漸くひと息吐いたところで待ち侘びたとばかりに女の頬へと手を伸ばす。
一瞬ビクリと強張る薄い肩。
だが、気付かぬ振りをして、顎を捕えてくちびるを吸う。
途端、瞬時に色付く薔薇色の頬。
「待ちくたびれた」
言うが早いか灯りを落とし、そのまま布団の上へと組み敷いた。
問答無用のままに、華奢な身体を。
妻である筈の女を。
心、此処に無き女を抱く為に。




*
*


いつものように、苦悶を浮かべて受け入れる身体。
圧し掛かる俺に、ほんの少しだけ脅えたように身体を硬くし、解かれる帯から…肌を這う俺の手先から目を逸らす。
逃れるように。
くちびるを噛み締め、ギュッと強く目を瞑る。
閉じられた瞳は一旦行為が始まってしまえば達して後まで開くことはない。
…いつものことだ。
俺の姿を視界から消して、その美しい顔にただ苦悶だけを浮かべたままに俺の行為を受け入れる。
肌を這う手のひらの動きと滑る舌先に、僅かばかり下肢を濡らすだけ。
声も上げない。よがりもしない。
ただ、時折漏らす、押し殺したような短い吐息と、泣き啜りにも似た喘ぎ声。
顰められた眉間の皺。
望んで受け入れているのではないと、嫌でもわかる。わかってしまう。
(これでは河岸見世辺りで安女郎でも買った方がまだマシだろう)
打ち棄てられた人形の如くこの腕に抱かれる女を見下ろしながら、薄闇に紛れて俺は溜息を零す。
毎夜の如く惚れてもいない男に抱かれて妻としての務めを果たそうとするこの女を、果たして俺は自由にしてやるべきなのかと、これでは嫌でも自問したくもなるだろう。
乗り上げた、女の白い肌からくちびるを離す。
そうして薄ぼんやりと見下ろした先、不意に目を開けた女の青い眼が俺を捕える。


「…冬獅郎、さん?」


不安げに。
揺らめく瞳に問われて俺は、なんでもないと首を振る。
なんでもないと首を振りながら、それでも身体は動かない。
これ以上、この先の行為を続ける気にはなれなかったのだ。
…本当は。
こんな五つも年下のガキの俺でなく、年の頃も見目も釣り合った、想いを寄せた手代の男に抱かれてえんじゃなかったのか?
こんな五つも年下のガキの俺に奪われるのではなく、あの男に…好いた男に『女』を捧げたかったんじゃあないのか、お前は?
襦袢の下の、抜けるように白い肌。
その白い肌のあちこちに、憤りと共に散らした痣。
直視出来ずに思わず目を逸らす。
本当は。
こんな五つも年下のガキである俺に、頭半分以上も背の低い俺に、いいように…こんな醜い所有の痕跡を残されることも我慢ならねえんじゃねえのか、お前は?
そう思いはしたけれど、結局口に出すことは出来なかった。






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