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8.


ぎゅうと縋り付く女の身体を受け止めながら、思わず洩れ出た苛立ち紛れの微かな吐息。
抱き留めた松本の髪から肌から今以って香る『ヒトの匂い』が嫌になるほど鼻を衝く。
…正直、この『神域』に松本以外の人間が入り込んだことすら赦し難くもあるのだが、それ以上に赦し難い事態が起きた。
嗅ぎ慣れた松本の花のような匂いに、他の人間の匂いが混じっているのが面白くない。
だから苛立った。気が立った。
怒りに任せて原因と思しき人間の女相手に怒鳴りつけていた。
とにもかくにもあの時は、一刻も早くあの人間の女から松本を引き離すことしか頭に無かったとも言える。
…っつーか。
(竜神の俺の花嫁に、ね)
実に馬鹿げた話だとおもう。
斯くも人間とは愚かであるとしか言いようが無い。
自らを『供物』と言った松本も、俺の『花嫁』となるべく身を投じたと、のたまったと云うあの女も。
所詮は雨乞いの為の『人柱』に過ぎない。
そもそも誰がその身をこの地に投じようが、俺に天候を変える義理もなければ権利そのものからして無いのだ。
(だいたい花嫁なんて大義名分の元に人間の女を押し付けられたところで、こっちゃ迷惑でしかないんだっつーの)
だからいつもはその手の理由で飛び込んだ輩が、この神域まで決して生きて辿り着かぬようにと、通力を使い強い結界を張り巡らせている。
それがたまたま今日に限って綻んでいた。
結界が甘くなっていたがゆえに、あの女が入り込んできた。
俺からすれば、望まぬ侵入者以外の何ものでもない。
だからここへと留め置くつもりは元から無いし、況してや加護など…誰がするものか。
早々にお引取り願うか、このまま水底で藻屑となって頂くつもりでいるのだが、このバカときたらつまらん早とちりばっかしやがって。
…ほんとムカつく女だ、バカ。
でっけえナリして、ガキの俺へとぎゅうぎゅうに抱き着いて。
ぐずぐずと鼻を鳴らす女の旋毛を溜息混じりに見下ろす。
いい加減顔を上げて俺を見ろと、腹の内でそっと罵る。
「言っとくが、俺ァあんな人間の女を花嫁なんぞにする気はねえぞ」
だいたい花嫁も何も、あっちが勝手に言ってるだけだろ、と。
デコピン付きで小言をくれれば、額を真っ赤に腫れさせながら、「ホントですか?!」と疑い気味に念押すから。
それにもう一度「当たり前だ」とばかりに頷いてやれば、漸くホッと安堵の息を吐く。
…良かった、と。
震える声で零れ落ちた微かな言葉。
「それじゃああたし、まだまだここに居てもいいんですね!」
「当たり前だろ。つか、なんでお前がここ出てくとか、そんな話になってんだ」
寝耳に水の松本からの発言に、ムッと顔を顰めれば、
「だって…もし冬獅郎様がお嫁さんを迎えたらあたし、めちゃめちゃお邪魔じゃないですかあ。身の周りのお世話だって何だって、あのこひとりで事足りちゃうに決まってますもん」
不貞腐れたようにぽそぽそとひとりごちるので、呆れた俺は再度松本の額にデコピンを見舞ってやった。
「痛あっ!」
「痛くしてんだから当たり前だ、アホ。…ったく、くだらねえ勘繰りばっかしてんじゃねえ。俺がお前を邪魔になんて思うこたねえし、そもそもここから追い出そうなんて誰がするかよ」
…むしろここから出られぬようにと、お前に枷を嵌めているのは俺の方だぞ、と。
嘆息混じりに明かしたならば、ぱちくりと瞬く空色の瞳。
枷…ですかあ?と。
オウム返しに呟きながら、然も不思議そうに自身の両の手首を眺めて首を傾げる。
「付いて無いですよう、そんなもの」
あたし、すっごい自由ですけど?と。
見せ付けるように両腕を、俺の目の前へと差し出す女はやはり、何ひとつとして気付いちゃいない。
その腕のみならず、その足に。
その眼に。
その体内に。
ありとあらゆる場所へと目には見えない鎖が巻き付けられて、今やその全てが俺へと通じていることを。
決して断ち切れぬ繋がりが、俺との間にあることを。
そもそもからして、俺の『加護』を受けたこと自体が間違いだったと知る由もない。








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