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14.



その日の空は見事なまでの秋晴れで…風も穏やかな実に気持ちの良い、松本曰く『散歩日和』だった。
だからと云うわけではないけれど。
「散歩、行くか?」
唐突に誘いの言葉を口にした俺に、青色の目をまんまるに見開き驚いた松本は、あんぐりと口を開けたまま暫し固まってしまったから…。
「行かねえんなら別にいいぞ」
あっさり身を翻したところで慌てた様子で「わー!」「ぎゃー!」と意味不明な叫び声を上げながら、「行きます、行きます!行きたいですっ!!」と、俺の背中に飛びついてきた。


「調子いいおんな…」


呆れたように言う俺に、だが松本は「当然ですよ!」と鼻息も荒くまくし立てた。
「だって、初めてじゃないですか?!冬獅郎さんからお散歩誘ってくれたのって!」
ふふと笑った松本の手を取って、「行くぞ」と2人、テラスへと降り立った。



それから、繋いだ指先をそっと絡めて。
一足踏み出すごとにカサと鳴る、やわらかな落ち葉を踏みしめる。
徐々に色を変えていく木々の葉を仰ぎ、傍らの秋桜を眺め、木の下に落ちた小さな実を拾い、俺達はゆっくりと秋の庭を散策した。
だが、見渡す限りこの庭には、人影一つ見られない。
顔なじみの庭師達も、さすがに今日は見かけることはない。
どこまで歩いて行っても、この庭に居るのは俺と松本…2人だけ。
事実、屋敷の中も今日は随分と閑散としたものだった。
(まあ、この屋敷の殆どの使用人が他所へと借り出されているのだから当然なのだが…)

「静か…ですねえ」
「ああ、そうだな」

空を見上げてぼんやりと言った松本に倣い、晴れ渡った青い空を俺も仰ぎ見た。



穏やかな秋晴れの今日と云う日に、雛森は『妻』となり『花嫁』となる。



取引先へのお披露目も兼ねた盛大な式を挙げる為、この家の使用人連中達は、皆雛森の屋敷へと借り出されていたのだった。
無論、俺と松本は仲良くお留守番を仰せつかっているわけなのだが…。


「でも…本当にいいんですかあ?」
「何がだ?」
「冬獅郎さんがお式にいらしてないって知ったらきっと、雛森のお嬢さん…ものすごーくがっかりするんじゃないかと思うんですけど?」


本当に雛森に会いに行かなくてもいいのか、と。
遠回しに茶化して言ったその言葉は、だけど恐らく…松本の本心からの問い掛けに違いない。
だが。

「そんなわけねえだろ。花も贈った、事前に祝いの言葉だって贈ってあるんだ。充分だろ。そもそも自分のことに手一杯で、俺のことなんざ気にかける余裕もねえよ」

言って。
笑った俺に、松本は尚も必死に「でも…」と食い下がる。
そんな松本を横目に眺めた俺は、改めてコイツのことを「馬鹿な女」だと思っていた。



「…冬獅郎さん」
「んー?」
「なんであたしの顔見てそんなにニヤニヤ笑ってるんです?」
「何だよ、俺がお前見て笑っちゃ悪リィのか?」
「べっ、別に悪くはないですけど…でも。なんだかその笑い方、ものすごーーく馬鹿にされてるような気がするんですもん」
ぷうと剥れて言った松本の読みは、なかなか鋭いところを突いている。
「つか。こういうどーでもいいことだけには、やたら勘が働くよな、お前」
ぷと噴き出した俺に、ぽかんと口を開けて固まった松本は、ふと我に返ると顔を真っ赤にして声を荒げた。
「ちょっ…どーゆー意味ですか、それは!!」
ひどい、とーしろーさん!と。
甘く俺を罵って、そっぽを向いたこの女に。
こんな、身体も弱く薄気味悪い年下の餓鬼に無理矢理嫁がされて、面倒ごと全部押し付けられて(俺の世話をこの屋敷の誰もが嫌がっていたことを幼いながらも俺はちゃんと理解していた)それでも…尚、俺を厭わなかったこの女に。


…心乱されぬ筈がないのだ。





*
*

今更、多くは望まない。
家族に疎まれ周囲から奇異の目で見られ、屋敷の最奥に独り幽閉されたあの時から、このまま此処で朽ち果てていくのもいいだろう…ずっと、そう思っていた。
諦めていた、何もかもを。

そんな俺にとって、永い間。
幼い頃、唯一優しくしてくれた…構ってくれた、幼なじみの雛森だけが『救い』と呼べる存在だった。
ただ一人、俺に優しくしてくれた雛森にもう一度。
会うことだけを夢見て、会いたいが為に苦渋の中を生きて…生きて。
だけど、結局。
記憶の中の偶像の雛森は、生きてゆく為の心の支えにはなっても、現実に俺を救ってくれることはなかった。(当然だ)


気が遠くなるほど深い絶望の深淵にあったこの俺に。
優しく手を差し伸べて、傍らに寄り添い、道を標し、この永年の『孤独』から救い出してくれたのは…記憶の中の雛森ではなく、妻となった松本だった。
渋る俺の背中を押して、こうして外へと連れ出してくれたのも。
その先で新たな出会いを導いてくれたのも。
孤独に燻る心を溶かしてくれたのも。
俺が長年執着してきた雛森ではなく、松本なのだ。
ならば。

(…心、乱されぬ筈がない)

『雛森』と云う光を失い、絶望した俺を、それでも尚見捨てることなく献身してくれた、この女に…。






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あきゅろす。
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