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3.


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きっともう時期あたしはこの地を追われることになるのだろうとの確信を得たのは、あのひとの『花嫁』となるべく少女を助けた夜のことだった。
その日竜神様であるあのひとは、隣国の山脈に住まう同じ一派の竜神様に呼ばれたらしく、住処でもあるこの神域を留守にしていた。
その際「お前も一緒に来るか?」と。
手を差し伸べてはくれたのだけど、竜神様の集まりに一介の人間でしかないあたしが顔を出すなどどう考えても分不相応。
なんとも恐れ多いような気がして、…主の不在を護るのがあたしの役目ですから、と。
丁重に断りを入れて、留守番役を買って出た。
尤も今となってはつまらない強情を張らず、あのひとに着いて隣国に行けば良かったと後悔せずにはいられない。
何しろ嘗てのあたしのように、生きたままに深く深い滝の底、この神域まで少女がひとり溺れ落ちてきたのだから。
…恐らくは、何らかの理由であの滝つぼへと身を投じたに違いない。
その時はただ、驚きと動転で以って少女を屋敷へと運び込んだ。
意識無く青ざめたその表情から最早一刻の猶予もないように思えたから、あのひとの帰りを待つことすらも出来なかった。
(年の頃は、十五かそこらになるのだろうか?)
幾分痩せて小柄な身体だったから、然程苦も無くひとりで屋敷の客間まで運ぶことは可能だった。
意識は無いが、息はある。
例え『施し』の無い人間であっても神域にまで無事辿り着けば、三日は何とか生き延びられる。
但し、それ以上は神域の主でもある竜神様の『加護』が無ければ呼吸も続かず、身体は『外』へと弾き出される。
神域から弾き出された瞬間、体内へと一気に水が入り込む。
すぐにも儚いものになるだろうと、以前あのひとは言っていた。
ゆえに、あたしがこの神域であのひとと同じように暮らせているのはあのひとに、加護を与えられたからに他ならない。
だからただの人間は、三日を境に――それより早く地上へ戻るか、竜神様の加護を得て留まるか。
はたまた弾き出された滝つぼの底で、藻屑となるより他は無い。
(なら、この娘はいったいどうなるのかしら?)
そもそもあの高さから滝つぼへと落ちて激流に飲まれ、それでも息あるままに神域まで辿り着くヤツなんて滅多にいないとあのひとは言っていたけれど。
そんな奇特な人間お前ぐらいのもんだと笑っていたけれど。
…そんな奇特で稀有な人間があたし以外に居たと知ったら、いったいどうするのかしら…あのひとは。
考えてふと、胸の内を掠めた不安。
そもそも無断で屋敷の中へと運び入れてしまったことを咎められるかもしれないと思って、今更ながらに独断を悔いた。
どうしようかと俯き、くちびるを噛む。
けれど思考はすぐにも中断することを余儀なくされた。
恐らくは、ショックで一時的に意識を失っていただけなのだろう少女が、低い呻き声と共に薄っすらと目を開けたのだ。
一刻と経たない内に目覚めた彼女は夜具の上、きょろと辺りに視線を巡らせながら上体を起こすと、酷く取り乱した様子であたしを見た。
「っこ、ここはどこ?!貴女は…!!」
驚きに、大きく瞠られた黒い瞳に、黒い髪。
詰問する声も身体も震えていたのは当然だろう。
何しろ滝つぼに落ちたと思って目覚めたところ、夜具に寝かされ異形のあたしの姿を目に留めたのだから。
あからさまなまでにその目に滲む恐怖の色は、嘗てあたしが地上で住んでいた村で向けられていたそれと、良く似通っていると思って胸が痛んだ。
「ええ…っと、ここは『神域』と云って、竜神様が住まう聖域よ」
「っそ!それじゃあ、貴女が竜神様?!」
ハッと顔色を変えて居住まいを正した少女に、慌ててあたしは首を横に振る。
「違う、違う!竜神様は今ちょっとだけ留守にしてるの。あたしは…そうね、あの方にお仕えしている、元はただの…供物かしら?」
「…く、もつ?」
「ええ。今はここで身の周りのお世話をさせてもらっているの」
よくわからないとばかりに小首を傾げた少女は、それでもあたしが竜神様へとお仕えしている立場にあるとわかったのか、漸く会得がいったとばかりに頷いた。
「ああ。ですからそんな珍しい髪色と目の色をされているのですね」
竜神の使役する、恐らく『人間』では無い何か――だから異形なのだと頭の中で納得をして、漸くあたしを視界に捉えた。緊張を解いたものと思われた。
(当然だろう)
だってこんな灰色の瞳に金茶の髪の人間なんて、あの村にはひとりとして存在しなかった。
あたし以外、誰ひとりとして存在しなかったのだ。
異端で異形なあたしを蔑む、怯む、無数の目。
投げ掛けられた酷い言葉も、投げつけられた石の当たる痛みも傷付けられた悔しさも、たったひとりの肉親からすら疎まれ続けた惨めさも。
この二十年、あのひとの傍があんまり穏やかで幸せ過ぎたから、思い出さずにいただけで、何ひとつとして忘れていない。…忘れられよう筈もない。
思い出してしまったのは、この子の瞳があたしを苛んだから。
異形のあたしに怯える姿を目の当たりにして、蘇った遠い昔の恐怖と苦しみ。
古傷を抉るようなじくじくとした痛みを感じなかった筈もない。
…やはりこの異形の髪も目も、忌避されて当然なのだと思い知らされた。図らずも。
(冬獅郎様は、綺麗だ…って言ってくれたから、ここに来てからは気にするようなこともなかったけれど…)
それは偏にあのひとが竜神で、それゆえに銀色の髪と翡翠の瞳と、更に稀有な姿をしているから。
だから気にするようなこともなかっただけに違いない。
けれど地上に住まう人間達の目で見れば、やっぱりあたしは薄気味悪いだけの存在なんだ。
(ああ、やっぱり。地上になんて戻りたくない。戻れない)
死ぬまであのひとのお傍に居たいと思ったあたしは、けれどすぐにも絶望で目の前が真っ暗になった。





「…あたし、竜神様の『花嫁』になるためにここに来たんです」





――何故なら、硬く強張った声であの子があたしに告げたから。








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あきゅろす。
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