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2.


「とーしろーってば、竜神様なのに見た目は人間とおんなじなのねえ」
「まあ、普段はな」
「普段…ってことは、竜の姿になったりするの?」
「必要がありゃあなるな、一応」
「ふーん。やっぱり凄いのねえ、とーしろー」
「……つか、竜神相手に『とーしろー』呼ばわりか、お前は」
「えー。だあってよくよく見たらあたしと年、あんまり変わらないみたいだし」
「んなことあるか。こう見えても俺ァ、七十年近く生きてんだぞ」
「っえーーっ!!それじゃあもしかして、おじいちゃん?!」
「じいちゃん言うなっ!!…っそうじゃなくて、竜の寿命は三百年近くあるからな。外見だけならそうそう年取らねえんだよ」
「ふーん。むずかしいことはよくわからないけど、それじゃああたしの方が先におばあちゃんになっちゃうんだねえ」



あっけらかんと口にした松本に、恐らく何ら意図はなかっただろう。
何しろすぐまた再び手元の繕い物へと没頭し出してしまったのだから。
だから松本は知らない。知る由も無い。
自分の発した何気ない言葉に今俺が、どれほど衝撃を受けたのか。
山間深くにある滝つぼの底、――その奥深くの『神域』で、竜神たる俺と松本が共に暮らすようになり一年余りが過ぎた今。
人間である松本は、出会った頃より少しばかり背が伸びた。
僅かではあるが、顔立ちが変わった。
髪が伸びた。
少しだけ俺の目線に近付いた。
俺からの『施し』を受けてこの神域で暮らしていると云っても、所詮は『人』だ。
松本はいずれ年を重ねて大人になる。
今が成長期の始まりであることも鑑みれば、それはそう遠い日の話でもないだろう。
大人になって、更に年を重ねていって。
やがては老いて、俺をこの地に置いてひとり、何れは儚いものとなるのだろう。
それこそ星の瞬きのような速さで、俺を置いて逝ってしまうに違いない。
――思い至ってゾッとした。
雨乞いの供物となった哀れな人間の子どもとの、突如として降りかかってきた災難のような思いもよらない共同生活。
最初の内こそどうなることかと思って戦々恐々懸念もしたが、存外居心地は悪くなかった。
慣れない手付きで俺の為にと身の周りの世話を焼いてはドジを踏み、日々俺を怒らせたり呆れさせたりしていたけれど、いつだって最後には笑わせてくれた。
温かな気持ちにさせてくれたのは松本だった。
眠りなど然して必要としない神たる俺の手を取って、ひとつ布団の中でそっと寄り添う。
いやだ、眠れないの?…などと、勘違いを口にして。
眠れないんじゃなくて必要からしてないのだ、と。
俺が訂正する前に、とんちんかんで下手くそな子守唄を口ずさんでは、共に眠る喜びを俺へと教えた唯一の存在――その松本を、いずれは失う?
この神域から居なくなる?
(冗談じゃねえ!)
愕然として、思わず伸ばしてしまった腕。
「…とーしろー?」
どうかしたの?と。
顔を上げて問うた松本の肩を掴んで、腕の中へと力任せに手繰り寄せていた。
「わっ!ちょ…針!!あぶないってば!」
じたじたと暴れるように身じろぐことすら構わず、焦燥のままに強く抱き締めたのも今は昔。
今となっては容易く俺をその腕の中に閉じ込めるほどに、成長を来たした人間の女。
深い水底に在る神域の中、ここでは地上とはまた違う時間軸が流れている。
地上とは比べ物にならないほどに、緩やかに流れゆく時間の中で、ゆうに二十年余りを掛けて松本は俺の背丈を大きく追い越し、見目も美しい女となった。
決して日の光に晒されることのない白い肌。
金茶の髪はこの二十年で更に明るみを増し、まるで波打つ稲穂のような金色となった。
濃い灰色をした瞳の色素は更に薄れ、空の色を模したかのような、澄んだ青へとその色を変えた。
ともすれば目のやり場に困るほどに大きく追り出た豊かな乳房と、相反する細い腰。
女性らしい丸みを帯びたその身体は、ガキのナリをしたままの俺から見ても、時に酷く扇情的で。
どうしたって距離を感じる。
嘗て感じた焦燥が、否応にも蘇る。
出会って間もない頃は「冬獅郎!」と俺を呼んでいたことも忘れて、今じゃ敬うように「冬獅郎様」と。
未だガキのナリをした俺へと向けて頭を垂れる。
尚も変わらぬものは、二心ない俺への忠誠とその心根だけ。

――果たして何時まで傍へと置けるだろうか。

自問したところで、答えなぞ出る筈もないと知りながら。





「冬獅郎様」
甘えたような、全幅の信頼を置いたようなやわらかな声で、俺の名を呼ぶ。俺へと向けて両腕を伸ばす。
たおやかな腕が俺の背中へと絡み付く。
大好きです、と。
浮かべる艶やかな微笑みに増す焦燥。
捕らえられた腕の中、甘いばかりの女の匂いに包まれながら今日もまた、苦いばかりの未来を憂う。









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あきゅろす。
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