[携帯モード] [URL送信]
1.


――あの日俺が拾った人間の子どもは、今や大層美しい『女』となった。



女は、元は『俺』へと捧げられた、供物同然の子どもだった。
恐らく年の頃は、十かそこら。
長く村に旱(ひでり)が続いていたからだろう、困り果てた人間達は『雨乞い』の為にと、先ずは馬の内臓や遺骸を干上がりつつある村の大きな池へと投げ込んだ。
わざとこの地に住まう水の神の怒りを買って、雨を降らそうと目論んだのだ。
だが三日が経てど十日が経てども、一向に雨は降らない。雨雲ひとつ空を覆わない。
ゆえに大地も池も乾いてゆくばかり。
同時に村の人間達の乾いた心までをも干上がらせた。
…雨が降らねば作物は育たない。
況してやこのまま雨が降らなければ、いずれは自分達の飲み水すらもままならなくなる。
弱りに弱った人間達は、とうとう雨乞いの為にと村の娘をひとり生贄として選び出し、人里離れた山深くに在るこの大きな滝へとその身を投じさせたのだった。
まるで狂気じみていた、と。
後に女は夢うつつ、涙に濡れた赤い眼で俺へと語った。
抵抗すら物とせず、捻り上げられた右の腕。
村の男達に引き摺られるように滝近くまで運ばれて、担ぎ上げられたかと思った時には既に滝へと投げ入れられていたと女は言った。
断崖絶壁を勢い良く落下する滝は見かけ以上に底が深く、人間の子どもが落ちれば当然ひとたまりも無い。
だが、その滝壺の遥か下には『神域』と呼ばれる俺達竜神の住処があって、たまたま落ちてくる子どもを『俺』が見つけた。
全く以って奇跡的としか言いようがないが、まだ微かに息があったから、そのまま塒である屋敷へと保護して命を助けた。
回復次第、地上へ戻してやろうと考えたのだ。
――ほんの気まぐれ。
ただそれだけのつもりだった。
なのに意識を取り戻した子どもは、俺が竜神と知るや否や「自分は雨乞いの為に竜神様へと捧げられた供物だから」と強情にも言い張って、村へと戻ることを頑ななまでに拒んだのである。
だが、俺にしたって人間なんぞを供物と捧げられても困るだけだし、況してや生かして家へと戻してやると言っているのに、喜ぶどころか酷く怯えたその様子に、何とはなしに事情を察した。
恐らく祖先に異国の血でも混じったのだろう、娘はこの辺りでは非情に珍しい、明るい金茶の髪に色素の薄い灰色の瞳をしていたのだった。
生まれながらの奇異なる相貌ゆえに、村では相当な迫害を受けてきたものと見受けられた。
聞けば、産みの母親は流行り病で一昨年の冬に亡くなっており、父親に至ってはどこにいるのかもわからない、…そもそも生きているのかいないのかすらもわからないと言う。
母親の他に身寄りはなく、母親亡き後は村のはずれの小さな小屋でたったひとり、狭い畑を何とか耕しながら細々生きてきたと娘は言った。
恐らくは、村の厄介払いを兼ねて今回、この娘に白羽の矢が立ったことは間違いないように思われたから、上へと戻すことをさすがに少し躊躇った。
そのほんの僅かの躊躇いを見透かされ、「自分は竜神様の供物なのだから供物らしく、ここで竜神様にお仕えしたい」と涙ながらに訴えられて、とうとう折れるに至った。
この神域へと留まることを赦したのだった。
「ところでお前、名は何てんだ?」
「…なまえ、ですか?」
問うたところで、酷く気まずげに目を逸らす。
あからさまに口ごもり、決して口を割ろうとしない。
挙句、「あの…竜神様がお好きなように名付けてください!」と、めちゃくちゃなことを言い出す始末で、今思えば最初から俺は振り回されているばかりだった。
「なんでだよ。お前、名前がなかったわけじゃねえんだろ?」
「っそ、そうですけども…」
そのまま黙りこくってしまった子どもは、どうやら余程自身の名前を呼ばれることが苦痛らしい。
(名も、村も、何もかもを捨ててしまいたいと切望するほどに、迫害されていたと云うことだろうか?)
…もしかして、産みの親たる母親からも忌み嫌われていたのだろうか、この子どもは。
ふとそんな考えが脳裏を過ぎり、思わず曇ってしまった顔。
垢染みた肌と、くしゃくしゃの髪。
手足の至るところに薄っすらと残る無数の傷跡が示すものなんぞ、察して余りあるではないか。
だからこれまた俺が折れるより他はなく、どうしたもんかと暫し迷った挙句に咄嗟、思いついた名を口にした。
「あー…、じゃあ。…松本、な」
「…まつもと、ですかあ?」
「ああ。なんだ、豪い不満そうだな。つーか文句あんなら教えろよ、名前」
「っ!文句、ないです!松本でいいですっ!!」
慌てたようにぶんぶんと、勢い良く細い首を横へと振って俺へと飛びついて来た『松本』は。
俺より幾分背が低く、折れそうな程にやせっぽっちのがりがりで、酷く頼りなさげに見えた。
なのに必死になって俺へとしがみ付く。
まるで俺から離れまいと、帰るまいとするかの如く。
だからきっと庇護欲みたいなものが湧いたのだろう。
名を与えた時点で既に、腹は括っていたも同然だった。
「そうか、ならいい。お前、今日から『松本』な」
「はい、ありがとうございます!…あ、それじゃあ竜神様は?お名前は何て仰るんです?」
「俺か?俺は…姓は日番谷、名は冬獅郎。この国の水脈を司る、所謂水神の一門の端くれだな」
「っじゃ、じゃあ!村に雨は降りますか!?」
そのために生贄として供物として、この滝つぼへと身投げするはめになったのだから、当然と云えば当然の問い掛けなのだろう。
だが実際のところ俺が司るのはあくまで大地に染み込む水であり、雨を降らすのはまた別の――天候を司る竜なのだ。
その必死の問い掛けに心を打たれ、試しにと念を地上へと飛ばしてみたが。
(雨は…降ってねえみてえだな)
予想通り、ではあった。
そもそも贄を捧げたところで、雨は降らない。止むこともない。
この地にどれほど旱が続こうとも、どれほどの雨が降り続こうとも、動物の遺骸やヒトの犠牲なんぞで天候は左右されない。
全ては俺達『神』の意思に在る。
だが、愚かな人間共は知る由もない。
雨が降らなければ止まなければ、祈りを捧げる。舞いを納めて懇請する。
それでも尚天候が動くことがなければ、次に罪無きいたいけな動物達を、時に娘を、自身の妻を、生まれたばかりの子ども達をも、供物と称して神へと差し出す。
ただ目の前の豊穣だけを願って。
その愚かな願いの犠牲となった松本を、だから俺は突き放すことも出来ないままに、傍へと置くことを選んだのだった。








[*前へ][次へ#]

2/21ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!