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10.


「ねえ、冬獅郎さん。偶には外に出てみませんか?」


遅い朝食の皿を片付けながら、その日、唐突に松本が言った。




傍らに置いた読みかけの本にちょうど手を伸ばしかけていた俺は、その突拍子もない誘いにパチクリと目を瞬かせて驚いた。
(この女が突然こんなことを言い出したのは、恐らく、この家に嫁いで初めてのことだろう)
期待に胸膨らませた子供のような顔をして俺の返事を待つこの女に、だが、期待通りの言葉をかけてやることなど出来る筈もない。
俺はひとつ、深い溜息を吐いてから。
「行きてえんなら、1人で行けばいいだろう」
と、素っ気無く告げると、掴み損ねた本へと再び手を伸ばした。ところで、パッと奪われた。
先に取り上げたのは、勿論、松本に他ならない。


「おっ…ま、何すんだよ!」


だが、ふざけてねえで本を返せと苛立ち紛れに叫んだ俺に、奪った本を高々と掲げた松本は「イヤです」と。
澄ました顔でベッと舌を突き出した。
…ヤロウ。
「あたしは冬獅郎さんと一緒にお散歩がしたいんですー!」
「…っ!!」
俺より幾つも年上の女であるとは思えないほど甘えた声で俺を挑発した松本は、隙有りとばかりに俺の手を取ると、テラスへと続く大きな窓から外へと駆け出していた。




ふざけるな、と。
繋がれた手を振り解き、奪われた本を取り返し、自室へ戻ることは容易かった。
けれど俺がそれをしなかったのは、他でもない。

繋いだ松本の手のひらが、
見上げた先、松本の目線が。

(随分と小さく感じられて、)
(随分と近付いていたことに気付いたからだ)





この女が俺の元に嫁いで、2年。
初めて顔を合わせた時は、随分と背の高い大柄な女だと思ったものだが、今ではその体格の差も、多少ではあるが…縮まっていた。
そして、今更ながらに気がついたのだ。
女にしては背の高すぎる松本が、実はとても華奢な女であったことに…。
眩しい陽の光の下で初めて見る女の白い肌に、輝く金糸に、美しいその横顔に。
ただ、呆然と、俺は見入っていたのだった。




*
*

それから俺達は乱立する木立と手入れの為された花壇の間を、ゆっくりと歩き回った。
やわらかな陽射しが少しだけ眩しくて手を翳す。
何時もであれば、部屋の中。カーテンの隙間・窓から眺めるばかりの景色の中に、今、自分が居るのだと思うとほんの少しだけ高揚した。
広い庭には俺達以外の誰も居ない。
そう云えば、使用人の姿さえも見かけなかった。
不思議に思っていると、
「今日は表の庭の手入れに皆借り出されているんですよ」
まるで俺の心を読んだかのように松本が言った。
…そうか。
それで今日はわざわざ俺を外へと連れ出したのか。


「とーしろーさんも、たまには『光合成』をしなくちゃダメですよー」
「バーカ。俺は植物じゃねえ」


そよそよと風に揺れる木々を気持ちよさげに見上げながら、何ともくだらねえ冗談を口にした女に思わず苦笑が漏れていた。
そんな俺を見つめて、今度は松本が声を出して笑う。
(俺の目の錯覚なのだろうか?)
浮かべた松本の微笑みは、穏やかで…とても幸せそうに見えた。






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あきゅろす。
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