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6.


色を失くした青白い顔。
噴き出す汗と、止まらぬ震え。
指先をすり抜け、ポタリポタリと滴り落ちる鮮やかなまでに赤い血が、絨毯に染みを作っていく。

「と…しろ、さん…?」

咳き込んだ、と思った時には、手のひらは鮮血に染まっていた。
血濡れた手のひらを、取り出したハンカチでぐいと拭う。
(力が…うまく、入らない)
それから、赤く染まった唇を。
血を吸った真白いハンカチは、みるみるうちに色を変えてゆく。
何度見ても慣れることのない光景。
青ざめながら、あたしはその…細く華奢な肩を抱き締めた。



「いい。汚れるぞ」
制する手のひらごと胸元に抱き締めて。その、薄い背中を優しく撫で上げる。
ポンポンと軽く背を摩ってやると、少年は再び2,3度軽く咳き込んで。
あたしのブラウスに僅かに吐き出した血が飛び散った。

「…すまねえ」
「気にしないで。それより、大人しくしていて下さい」

はぁ、はぁ、と。未だ荒い呼吸を沈めるように、更にきつく、華奢な身体を抱き締めた。
やがて、じわりと滲む視界。
込み上げる涙で徐々に目の前が霞んでゆく。
でも。
(気付かれたくはない)
零れ落ちる寸での涙の固まりを、少年に気付かれぬよう素早く手の甲で拭った。
「すぐに、お医者様を…」
動揺に震える心を叱咤して、辛うじて口にしたところで腕の中の少年は。
「必要ねえ」と。
苦しげに頭を振って、あたしの言葉を素気無く拒絶した。
(ああ、また…)



こんな時。
どうしてかこのコドモは医師の診療を受けることを拒絶する。
頑なに拒絶して、痛みも苦しみも全部…この小さな身体の中に抱え込んで。
まるで、ひたりひたりと忍び寄る『死の影』を受け入れるみたいに…。
ギリと唇を噛んで、「でも…」と、尚説得を続けようとしたあたしに、
「いい。軽い発作だ」
何でもないことのように言って、今日も貴方は顔を背けて。
「それより。先に着替えて来いよ」と。
やっぱりあたしを遠ざけるのね。
(発作に苦しむ貴方の姿に、あたしがどんなに怯えているかも知らないで…)


*
*

あたしの記憶が確かであれば、少し前までこんなことはなかった筈だ。
元々医者を好まず必要最低限の診療しか受けようとしない頑固なところは確かにあったのだけど、それでも…ここまで頑なに診療を拒むことはなかった筈だ。
…今までは。

「と…しろ、さん」
「いいから。染みになるぞ」

やんわりと、だけど明確な意思を持ってあたしの心配も、支える腕をも拒否した貴方が、まるで死に急ぐみたいに医師の診療を拒絶するようになったのは。
あの日…従姉である雛森桃が、この屋敷を訪れた日を発端としてのことだった。
それが何を意味しているのかぐらい、嫌でもわかる。
恐らく。
いま、このひとのこころのなかは、からっぽなのだ。


「気にするな」と。
あの日、涙を流して謝るあたしを慰めてくれたこのひとは…けれど目に見えて消沈していた。
(生きるための目的も夢も張り合いも、このひとから…あたしと云う『存在』が全て奪って根こそぎ刈り取ってしまったのだから当然だ)
その、小さな身体に、からっぽのこころと、おおきな空洞を抱えて。
圧し掛かる冷酷な現実と、叶わぬ夢に押し潰されそうになりながら、今…少年が望むものは、全ての終わりに他ならない。



だけど、やっぱり。
このままにしておくわけにはいかなかった。
あたしはまだ…このひとのことを、失いたくはないのだ。
スッと少年から身を引いたあたしは身を翻し、けれど自室に戻ることなく、部屋の片隅にぽつんと置かれた黒い電話の受話器を素早く手に取った。
(早く、お医者様を…)
震える指先を叱咤して、一刻も早くお医者様をとダイアルを回す。
けれど、結局。
回線が繋がることはなかった。
「…何、してやがる」
酷く冷たい声で呼びかけられて、振り向いた先、怒気を孕んだ碧い瞳があたしを見据えていた。
喉を鳴らし、こくりと息を呑み込んだあたしは、…どうして、と。
声に出すことなく呟いた。
回線が繋がるより一瞬早く、あの人の手が素早く電話のコードを引き抜いていたのだった。






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あきゅろす。
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