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4.



それからようやく重い腰を上げ、あたしが部屋へと戻ったのは、間もなく夕刻を迎える頃のことだった。
閉ざされた扉の前で暫し躊躇い、それからようやくドアノブに触れ、「今…戻りました」と重い足取りで部屋に入ったあたしに、
「遅かったな」
と、顔を上げることなく手元の書物に目を落としたまま少年は言った。
淡々としたその声は、いつも通りの態度のようでいて、でもやっぱり、いつも通りじゃない。
「…ごめんなさい」
その、どこか少しだけ素っ気無い声にあたしは項垂れ、謝るより他はなかった。
お客様(それも、初めて顔を合わせる親族のお嬢さんが)いらしたと云うのに、あんな風に挨拶もそこそこに部屋を後にして、それきり何時間も戻らなかったのだ。
このひとが不機嫌になっても仕方がない。


「あの…雛森のお嬢さんは?」
「…お前。アイツの名前、知っていたのか?」
「あ、はい。さっき…お茶をお願いした際、使用人から…聞きました」
曖昧に笑って言ったあたしに、そうか、と。低く呟いた少年は、それで全てを悟ってしまったようだった。
「そうか…」
再び口にしながら、一瞬決まりの悪そうな表情を浮かべたあのひとは。
長年隠し続けて来た雛森桃への淡い恋心に、お茶を運んだ女中頭から全てを聞かされたあたしが気付いてしまったことを、今の短い会話からだけで容易く悟ってしまったのだった。
「雛森なら…もう、帰った。とっくに、だ」
「そう、ですか…」


本当に最低な態度を取ってしまったと俯くあたしに溜息を吐き、ようやく顔を上げた少年は。
「お前に直接おめでとうと言えないことを残念がって帰って行ったぞ」と。
さらりと言ってのけたのだから、あたしは酷く驚き、瞠目した。


「あの。おめでとう…って。何が、ですか?」
「ここに嫁いだことだろう」


平然と言ってのけた少年に、あたしは唖然と立ち尽くす。
(このひと…あたしのことを、馬鹿正直にあの子に話したの?)
だけど何を今更と云った顔をした少年は、「お前のことをとても綺麗だと羨ましがっていたぞ」と溜息混じりに告げると、手元の本へと再び視線を戻した。
呆気ないほど冷静な横顔だった。
だから思わず口にしていた。
「本当に、良かったんですか?」と。
あたしを妻に迎えたこと、話してしまっても良かったんですか?
貴方はあの子のことが好きだったんじゃないんですか?
呆然と言い放つあたしに、だけどあのひとは僅かにその柳眉を顰めて。
「しょうがねえだろ」と。
何かを諦めたように小さく嗤っただけだった。
その、悲しいまでのやりきれない微笑みに。
ギリ、と。
締め付けられるように、再び胸が…軋んだ。
「どうして…?」
咄嗟口にしていた問い掛け。
だけどそんな問い掛けに、今更意味なんてないのだ、と。
「嘘でも…何でも。あたしのことなんて、適当に誤魔化してしまえば良かったじゃないですか」
そんな嘘を吐いたところで何の意味もないのだ、と。
わかっていながら、尚も少年を責めずにいられなかったあたしはどこまでも愚かな女だ、と。
気付いた時には手遅れだった。
冷静な筈のその横顔に、ほんの少しだけ…翳りが走ったのを、見た。




*
*

生まれた時から、その髪・その目の色を「異形である」と、家族に迫害されて育った少年。
そんな貴方を決して奇異の目で見ることなく接してくれたと云う、唯一の少女。
…愛さない筈がない。
出来ることならば、知られたくなかった筈だ。
こんな、明らかな政略結婚。
若くして年の離れた妻を娶ったことを。
存在そのものを否定するかの如く、屋敷の最奥に幽閉された今の自分の姿を…あの子だけには。



「あたしのことなんて、何と言ってくれても構わないのに…」

強ち間違いではないのだから、自分付きの『使用人』だとでも適当にはぐらかしてしまえば良かったのに、と。
苛むあたしに、けれど少年は「そんな真似をしてどうなる?」と。
手にした本を静かに閉じて。



「お前が使用人の一人だと、雛森にその場しのぎの嘘を吐いたところでいったいどうなる?」
ゆっくりとあたしを一瞥した少年は。
「俺の『妻』がお前であることに変わりはねえし、雛森が俺のものになることはねえんだ。



  …永遠にな」


何もかもを諦めたような…虚ろな目をして、くと唇を歪めてあたしに嗤いかけたのだった。




ああ、それはなんて深い絶望。




このひとだって。
好きで此処に囚われているわけではないのだ。
好きでこの『家』の言いなりになっているのではないのだ。
好きでもない女を『妻』にしたい筈がないのだ。抱きたいと思う筈がないのだ。
(やっと、わかった)
実の家族に異形であると迫害されて、病に蝕まれた幼い身体でこんな部屋に閉じ込められて…たった独り、それでも自ら『死』を選ぶことなく文句一つ言うこともなく今日を生き抜く貴方は、…ただ、あの子の為に。
遠くへ行ってしまった、大切で大好きだった幼なじみの少女にもう一度会いたいが為に、全てを諦め、理不尽な扱いさえも無条件に受け入れて。
貴方は、今…此処にいるのでしょう?



手にしていたかもしれない未来を夢に見て。
だけど、得られるものは、更なる『絶望』に他ならないなんて…。






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あきゅろす。
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