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5.

おっ母さんだって、弟だって、昔に比べたら随分と身体が丈夫になった。
以前ほど寝込むようなことも少なくなった。
あたしも妾奉公なんぞから足を洗って、堅気の仕事に戻っても、きっと今度こそ親子三人でやっていけるに違いない。
そうして誰か…こんなあたしでもいいと言ってくれる、やさしい男を見つけてお嫁に行って、子どもを産んで添い遂げる。
――そんな暮らしをすることだって、今ならきっと、まだ間に合うに違いない。
だからいっそ、あたしから切り出してしまえばいい。
…お見合いをしたんですってね、と。
可愛いらしいお嬢さんだそうじゃないですか、と。
よかったですねと切り出して、…あたしだったらもういいから・と。
もう充分良くして貰いましたから、そろそろおっ母さんと弟のところへ帰りますと。
伝えてしまえばいいのだ、と。
思っているのに、言葉にならない。
「…乱菊?」
と。
眉根を寄せたあのひとの手が、そっとあたしの頬へと触れる。
硬い指先が、あたしの眦をつと撫で上げる。
「どうした?何で泣いている?」
拭われた涙。
ああ、あたしは今泣いているのだ・と。
気付いて俄かに込み上げる嗚咽。
――やっぱり嫌だ。傍に居たい。
――例え囲われ者のままでもいいから、このままお傍に置いて欲しい。
そんな切なる想いが込み上げてくる。
涙となって、頬を濡らす。
「っとに、わけわっかんねえ女だなあ」
苦笑混じりにそんな憎まれ口を叩きながら、手にした煙管を煙草盆へと戻すと、あたしに向けて手を伸ばす。
あやすように抱き寄せる。
再び捕らえられた腕の中、くちびるを塞がれ目を閉じる。
しがみ付くようにその胸に縋る。
深いくちづけに「あふ」と漏れ出す吐息の合間、…傍に居て、と。
あんたが好き、と。
途切れ途切れに口に出したなら、一瞬目を瞠ったあのひとの、薄いくちびるが「く」と歪む。
妖艶なまでに弧を描く。

「――……」

果たして何を言われたのか。
声は掠れて聞き取れなかった。
況してやそのまま褥に組み敷かれてしまったのだから、問い掛け直すことすらも出来なかった。
朦朧と蕩けてゆく意識と理性のその狭間で、あたしを組み敷くあのひとが、昏い笑いを浮かべていたことにさえ、気付くことは出来なかったのだ。







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