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2.



変わらない金髪。
変わらない碧眼。
あの頃よりも少しばかり痩せているようではあるけれど、面影は6年前のままの松本がそこに居た。



付き合い始めたばかりの女にせがまれ、渋々足を踏み入れた、少しばかり名の知れた海沿いのカジュアルレストランでのことだ。
そこで松本は、あの頃と全く変わらない笑顔を振り撒き、トレイを片手に忙しなく狭いホールを行き来していたのだった。
その現実に、足が竦む。
頭の中が真っ白になる。
「…日番谷くん?」
不意に腕を取られて我に返る。
昼食時を大幅に過ぎた店内は、さすがに満席とまではいかないもののそれ相応に混み合っている。
漸く俺達の存在に気付いたらしい松本が、笑顔も全開に「いらっしゃいませー!」と威勢良く声を張り上げた。
だが、その笑顔も一瞬にして凍りつく。
今、目の前に居る客が、『俺』であることに気が付いたからに他ならない。
こんなにも。
ひととは真っ青になれるものかと、しみじみ思って浮かべる嘲笑。
「お二人様ですか?」
それでも気丈に笑顔を取り繕った松本は、どうやら俺を赤の他人と見做すことにでもしたらしい。
手際よく窓際の席へと案内すると、俺と女の前へとメニューをひとつずつ並べて、それでも最後は逃げるようにその場を後にした。
…あの頃。
俺と付き合う中で21の誕生日を迎えたばかりの松本は、間もなく27を迎える筈だ。
それだけの歳月が過ぎているのだ。
とうに結婚していたところで不思議はないと思って、意図してその指先へと視線を走らせた。
だが、水の入ったグラスを差し出す手にも、トレイを抱えるその手にも、指輪の類は見られない。
単に仕事中は外しているだけなのかもしれなかったが、そのことに安堵している自分に気付いてまた嘲笑う。
――今更じゃねえか。
わかっているのに、囚われる。
否。
囚われている、今も…尚。
その『現実』に打ちのめされる。
「綺麗な人ねえ」
ご注文がお決まりの頃にまた伺いますとお決まりの文句を言い置いて遠ざかってゆく松本の後姿を目で追いながら、向かいに座った女が『思わず』と言った様子で口にした。
突然のことに虚を衝かれたが、生憎顔に出すまでは至らなかった。
そしてそれにまた安堵する。
「まあ、確かに胸はでかかったな」
「っもう!」
くだらない軽口で場を濁し、メニューに視線を落とす振りをして目で追いかける。
揺れる、長い金髪を。
スラリと伸びた白い脚を。
…綺麗なひとねえ。
今、耳にしたばかりの女の言葉が、色鮮やかに脳裏に蘇る。
ああ、そうだな。
と、思わず同意しそうになって、踏みとどまった己の心の声までも。
ああ、全く…。6年経っても老けるどころか、ますますイイ女になっていやがる。
学生特有の幼さがすっかり抜け落ちた分、豪くイイ女になっていたことに、正直…少しだけ俺は苛立っていた。
恐らく…俺の知らないこの6年の間に、アイツを変えた『男』がいるのだろう。
それが一人であるか、二人であるか…若しくは俺同様に、それ以上であるかまではわからない。
だがそれは紛れも無く正しい可能性であり、それを考えただけで意味もなく、どうしようもない憤りに見舞われたのもまた事実だった。
6年も前に、とっくに振られた身だと云うにも関わらず。





――松本、は。
俺との再会にあからさまに動揺こそしちゃあいたが、それでも接客業である以上、笑顔だけは絶やさなかった。
(ああ、そういや初めて顔を合わせた時に、「いい?たかがコンビニのバイトとはいえ『お仕事』なんだから、例えどんなにアンタがやなことあって凹んでいても、例えどれほど腹の立つお客様がいたとしても、笑顔だけは忘れるんじゃないわよ?接客業である以上、仕事に私情は持ち込まないこと。これ、鉄則ね?」と、笑って俺を諭したのはコイツだった)
その言葉に偽りはなく、今、松本はそつなくホールの仕事をこなし、時折俺の居るテーブルへも足を運んだ。
絶やさぬ笑顔のままで以って。
手際よく、テーブルへと皿を並べてゆく。
尤も、目は合わせようとしない。
伏せた睫毛。
逸らした視線。
…見ていればわかる。
どんなに笑顔を繕っていても、固く頬が強張っていることに。
それほどまでに松本が、俺との再会なんぞ望んでいなかったのだと云うことに。
(そりゃあ…会いたくなんてなかっただろうな)
何たって、姿を消すほんの数日前まで傍らで笑い、電話で話してメールを交わして…その度ごとに「大好き」って口にしていた癖に、事情ひとつ明かすことなく、況してや別れる理由も明確にせず俺の存在を切り捨てたのだ。
それほどまでに別れたい『理由』が、この女にはあったのだ。
(そりゃあ…会いたくなんてなかっただろうけどな)
苛立ち紛れに突き立てたフォーク。
やや乱暴に口へと運んだその瞬間、ほんの少しだけ瞠目した。
「あ、美味しい」
目の前で同じく食事を開始したばかりの女の反応も、俺と似たようなものだったことに思わず苦りが顔に滲む。
運ばれてきた食事の味は、なるほど…確かに悪くない。
どうしてもここに寄りたいのだと言った女の気持ちも、まあ…わからないでもないかと、外の景色を一瞥して思う。
どうやらこの店は食事の味は勿論のこと、この海を一望できる景色も相俟ってそこそこ名が知れているらしく、その手の雑誌でたびたび取り上げられているのだと何故か誇らしげに女が言っていた。
空座町から、電車でほんの30分。
こんな近くにコイツはいたのか、と。
改めて思って俺は息を吐く。
囚われたままの6年間を振り返る。
そうして再び頭の中で、一人憤りを滾らせてゆく。
あの、女の。
伏せた瞳に。
逸らした視線に。
繕ったままの、強張った笑顔に。
あの女が。
俺に向けて一度でも、あんなぎこちない笑顔を見せたことなどなかった筈だ。
だが今は、そうでもしなけりゃ体面を繕ってなどいられないと云うこと…か。
そうまでして、俺との『過去』を無かったことにしたいのだ、と。
俺に会いたくなかったのだ、と云うことか。
6年を経て、今も…尚。
否。
6年も経て、俺の方こそ今更どうこうなりたいなんて微塵も思ってなどいない。
…だが、それでも。
突如俺を棄て、消えた理由を問い詰める権利ぐらいはある筈だ。
少なくとも、そのことで責め立てる権利ぐらいはある筈だろう?
ホールを行き来する女を横目に憤りを滾らせ、そんな腹立ち紛れの打算に頭を巡らせていること自体が既に、今尚過去に…あの女に。
俺が深く囚われているままの証拠なのだ、と。
何ひとつ、気が付くこともないままに。





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