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14.冬獅郎(十六歳)

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桃は俺が深川に来る以前からの幼なじみで、当時俺が住んでいた、長屋の近所の煮売り屋の娘でもあった。
まだ俺の親父が健在だった頃は、よく一緒に遊びもしたし、家を行き来した仲だった。
――だが、五年前。
親父が亡くなり俺が身寄りを無くした時から、すっかり疎遠になっていた。
それが先だって近所の小間物屋で再会してから、たびたび顔を合わせるようにもなった。
顔を合わせれば話ぐらいする。
況してや相手は気心知れた幼なじみだ。
懐かしさも相俟って、普段無愛想な俺だって、笑いもすれば冗談も言う。
それを見て、恐らく親方に仲を疑われたのだろうとの察しもついた。
だが、察しがついて尚桃との仲を親方に否定も肯定もしなかったのは、戸惑いと迷いと高揚と。
ただ単に、俺の中でぐちゃぐちゃに入り乱れていたからに他ならない。

(ああ、そうだ。戸惑っていたのだ俺は)

混乱していたのだ。この時、俺は。
親父亡き後、この家へと引き取られ、あの女と共に暮らすようになってのち。
実に五年と云う月日の間、一方的に恋焦がれてきた…懸想してきたおんなを妻に、と。
いきなり話を持ちかけられて。
どうせ俺のモノにはならぬ女だ、と。
諦めていた彼女を妻に出来るのだ、と。
降って湧いたようなこの幸運に、喜ぶより先に戸惑っていた。迷っていた。



…あの、男が。
幾ら他の女との間に子を生し所帯を持ったとは言え、そう簡単に彼女の情が、他所へと向けられる筈もない。
ほんのひと月ふた月余りで気持ちを切り替え、別の男に嫁げるとまでは思えないからだ。
況してや相手はこの俺だ。
四つも年下のガキの俺を、…そりゃあ実の弟のように可愛がってはいてくれたけど。
五年が過ぎた今以って、実の家族のように接してくれてはいるけれど。
それでも『夫婦』になるとなれば話は別だ。
親方やお内儀さんの思惑はともかく、彼女に『夫』として受け入れられるかどうかもわからないのだ。
これでは俺が『ぬか喜び』を恐れたことも道理だろう。





だからこそ、こうして婿入りの話が本決まりになった今以って、僅かばかりの距離を置いて俺は彼女に接していた。
…土壇場で、失うことを恐れたから。
彼女を真実この手に入れるその日まで、この奇跡のようなめぐり合わせを『儚い夢』で終わらせたくはなかったから。
ぬか喜びに泣くようなことを恐れたから。






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