[携帯モード] [URL送信]
10.乱菊(二十歳)


風邪をこじらせ亡くなったと云う冬獅郎の父親は、あたしのお父っつあんの友人でもあり、また、深川界隈ではちょっと名の知れた腕利きの下駄職人でもあった。
あたしも冬獅郎のお父っつあんが誂えてくれる下駄が大好きで、それこそ歯が磨り減ってくたびれるまで履いたものだ。
嘗てはうちとは比べものにならないような大店の履物屋で腕を振るっていたこともあるらしく、そんな冬獅郎のお父っつあんがうちのお抱え職人となったことで、店も随分繁盛をした・と。
お父っつあんもおっ母さんも大層感謝をしていたから、身寄りのなくなった彼の一人息子を引き取って、うちで面倒を看ることにしたと切り出された時にはあたしも反対ひとつしなかった。
むしろ、弟が出来ると手放しで喜んだほどだった。
「アイツの血を引く息子だ。今から仕込めばいい職人になるに違いねえ」
笑って言ったお父っつあんの目論見どおり、幼いながらも冬獅郎は手先も器用で物覚えも良く、お父っつあんはもちろん、他の職人達の舌をも巻かせたのだった。
だけど冬獅郎が秀でていたのは、なにも下駄職人としての才能だけじゃなかったようで。
おっ母さんが試しに帳簿付けや伝票整理を教えたところ、二度ほど手順を聞き直しただけで難なくやってのけたと云うから驚きである。
「アイツぁ若けえが腕も確かな上に、商才もある」
お父っつあんが感心するほどに、冬獅郎が来てから店には活気が満ち溢れ、仕事も随分忙しくなった。
そんなあの子のことを、あたしは『弟』みたいに思っていた。
実の弟のように可愛がっていた。
大好きだった。
大事だった。
うちに来た時はまだ小さな子供だったあの子も、今やあたしと目線も変わらぬほどに大きくなった。
照れ臭そうに、…乱菊ねえちゃん、と。
あたしのことを呼んでくれていた昔がまるで嘘みたいだ。
可愛いばかりだった面差しは、すっかり精悍さを増して。
気付けば、豪く男前へと成長をした。
それも、若い娘の視線までもを惹きつけるほどの、極上の男前に。
そんな大きく育ったあの子のことを、可愛い弟だなんて思えなくなったのは、いったいいつのことだろう。
ひとりの『男』として見做すように、恋焦がれ始めたのは…いったいいつからのことなのだろう。
思い出そうにもよくわからない。
それほどまでに昔から、ずっと…あたしは冬獅郎のことが好きだったのだ。






[*前へ][次へ#]

11/54ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!