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7.乱菊(二十歳)


珍しくも紅を差し、よそゆきの着物に花簪を髪に挿して。
夕方までには帰って来るからと、言い置いてから。
苦りきったような顔をしたおっ母さんに見送られて店を出る。



「また、あの子かい?」
咎めるようなおっ母さんのその問い掛けに、広小路までちょっと手妻を見に行くだけよといなすように切り返す。
「まったく、嫁入り前だって云うのに…」
そんな苦言すらも聞き流し、店を出る間際、ほんの僅かの期待を胸に、土間口でいつものように下駄を誂えている冬獅郎へと視線をやった。
けれどその手が止まることはない。
眉ひとつ動かすようなことさえも…。。
気にした素振りひとつ見られないことに内心気落ちしながらも、それでも少しは気に留めてくれていたらいいのに、と。
どうしたって願わずにはいられない。
(悋気のひとつも起こしてくれないかしら?)
そう思って着飾って、然して興味もない手妻なんぞを幼なじみの男と見にゆく為に店を出る。
そんな自分を馬鹿だと思わないでもないけれど、こんな方法でなければ惚れた男の気持ちを量ることも出来やしない。
そうして、案の定。
冬獅郎の見せた反応は、到底「芳しい」とは云えない――実に冷めたものだったのだ。
傍らを通り過ぎるその際に、ほんの一瞬チラリとこちらを見やった目は、どこか冷ややかで呆れていたようにも見えた。
けれどそれも当然だろう。
幾ら一緒に出かける相手が気心知れた幼なじみと言ったって、嫁入り前のいい年の女が店の手伝いもそこそこに、真昼間から男と連れ立ち二人っきりで出かけるなどと。
仕事に精出すあの子にすれば、ロクでもない女と思われたところで無理も無い。
そんな気落ちしたままに出向いた先で、楽しく物見遊山に興じることなど出来る筈もなく。
案の定、ただ疲れるばかりであったのだけど。



そうして疲れた足を引きずって、カラコロと下駄を鳴らして家路を急ぐ。
もう間もなく日も落ちる頃。
仕事を終えて、恐らく湯屋の帰りなのだろう。
片手に湯桶を持った冬獅郎の背中を目に留めて、駆け出そうとしてたたらを踏んだ。
傍らには、近所の小間物屋で働く冬獅郎の幼なじみが寄り添い笑っていたから。
普段、無愛想極まりない冬獅郎が、あの子の隣りでふと口元を緩めるように笑っていたからだった。
仲睦まじく談笑をしているふたりの姿を目の当たりにして、少しずつ血の気が引いてゆく。
目の前が暗くなってゆく。
ほんのちょっとでも悋気を起こして欲しくて、これ見よがしに着飾り出かけたつもりが、逆にあたしが妬いている。
若くてお似合いのふたりを前に、あたしの方こそがショックを受けている。
そうしてやっと気が付いたのだ。
…脈なんてない。
期待するだけ無駄なのだ、と。
冬獅郎は、恐らくあの子のことが好きなのだ。
そう思って目を逸らした。
ぐ、と俯いて、くちびるを噛み締め、出来の悪い作り笑いを口元に浮かべ。
「とーしろっ!やるわねえ、アンタも!」
「っ!お嬢…!?」
すっかり逞しくなったその背にパチンと張り手を食らわせ、からかうように囃し立ててから、ふたりの傍らを走り抜けてゆく。


「っそ、そんなんじゃねえ!!」
「隠さない、隠さない!そーんな脂下がった顔して否定したって、ぜーんぜん説得力なんてないわよーだ!」


そんな憎まれ口をその場に残し、家へと向かって夕暮れの中をひた走る。





滲む夕日と、茜雲。
照れ臭さを隠すように叫ぶ冬獅郎の声を置き去りに、今のあたしには、逃げるように駆け出すことしか出来なかったのだ。






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あきゅろす。
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