[携帯モード] [URL送信]
4.乱菊(二十歳)


そうして大きく育った今、今日まで育ててもらった『恩義』に報いるために、と。
お父っつぁんに言われるがまま、好いてもいない――況してや四つも年上の、とうに二十歳も過ぎた嫁き遅れの『女』を嫁にともらうのだ。
(何とも不憫な話よねえ)
不意にこみ上げる、乾いた自嘲。
まだ十六と年若くはあるものの、冬獅郎には下駄職人としての秀でた腕も才能もある。
少しばかり無愛想ではあるけれど、成長したあとの男っぷりもなかなかのもので、娘盛りの若い子達に随分と騒がれていることも知っている。
それこそ相惚れしている可愛い娘がいることだって知っていた。
そんな彼女との未来までもを諦めて、ただ単に、育ててもらった恩に応える為に、と。
心を殺して、あたしのこの手を取ったことだって、承知している。知っている。

(ねえ、アンタの心はここに無いんでしょう?)
(だから今だってあたしを置いて、さっさと先を急ぐんでしょう?)

本当は。
ずっと繋いでいて欲しかった。
肩を抱いていて欲しかった。
その手に触れられていたかったのに…。


(だって、ずっと好きだったのよ?)

本当は。
ずっとずっと好きだったのよ、アンタのことが。
嬉しかったのよ、例え恩義に報いる為にと、あたしを選んでくれたことだって。
夫婦として、この先もアンタの隣りであの店を、一緒に切り盛りしていけるんだと思うと。
例え望まれた結婚でないとわかっていても、嬉しいと思えたのよ、本当に。
…だけど、喜んでいたのはあたしだけ。
(やっぱりアンタの心は今も、あの子の元にあるんだわ)
思い知らされて、後を追いかける歩みが止まる。
じんわり視界が滲んでゆく。
カラ、コロ、と。
下駄の音が止んだことに気がついたのか、振り返った冬獅郎が踵を返して戻ってくる。
あたしの傍へと駆け寄ってくる。
…どうした、と。
覗き込む瞳。
再び触れた、大きな手のひら。
硬い指先。
その温もりに泣きたくなって、気付けば袖を引いていた。



「…ねえ、寄っていこうか?」


わざと蓮っ葉を装い、口にした。
「茶屋にでも寄るのか?」
問われて、コクリと頷いて。
そのまま冬獅郎の腕を引く。
一瞬大きく瞠った瞳を見ない振りをして、手を繋ぐ。
冬獅郎の言う『茶屋』とは、恐らく水茶屋のことなのだろうと思ったけれど。
敢えて誤解を解かないままに、一本先の小路へと入る。
言葉ひとつも発しないままに、カラコロと下駄を鳴らして先をゆく。
目当ての茶屋は、少し歩いたその先にあった。
「っ!!」
目にした途端、僅かに強張る冬獅郎の薄い頬。
そこが『出合茶屋』であることを、どうやら知っていたようだった。





※出合茶屋=男女が密会に利用する茶屋。現代のラブホテルに相当。

[*前へ][次へ#]

5/54ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!