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3.乱菊(二十歳)


じりじりと照り付けるような暑さと人波。人いきれ。
陽射しは高く、空を仰いだその瞬間に、グラリと大きく世界が揺れた。



「大丈夫か?」

大丈夫な筈も無かったけれど、問われて曖昧に頷いた。
途端、眉間にぎゅうと寄る深い皺。
嘘吐け、と。
詰るようなその眼差しには、恐らく…今。
青ざめたあたしの顔が映り込んでいるに違いない。
やや強引に腕を取られて、肩を抱かれる。
押し潰されそうになる人混みの中、…帰るぞ・と。
有無を言わさぬ勢いで、ごった返す人波の外へと連れ出されていた。
冬獅郎は、少しだけ怒っていたようだった。
八幡様の祭り見物へと向かう人混みを漸くのことで抜けたところで、肩を抱く腕が離れてゆく。
人もまばらになったところで、繋がれていた腕までも離されて、とうとうあたしはひとりになった。
…ううん、決してひとりになったわけじゃない。
だって冬獅郎は三歩先を歩いているだけだったし、何もあたしひとりを置いて行こうとしているわけでもない。
ただ、単に。
繋いでいた手を離されて。
あたしの方を振り向くことなく、先へ先へと急いでいるだけ。
ただ、それだけのことなのに。
なぜか酷く寂しい気持ちになった。




*
*


硬い指先。
汗で湿った、大きな手のひら。
…そういえば、冬獅郎と手を繋いだのは、随分と久しぶりのことだった。
大きくなったのだなあとしみじみおもう。
小さなあの子の手を引いて、初めてふたり、八幡様の縁日へと足を運んだのは、ほんの何年か前のことなのに。
大人しくあたしに手を引かれ、何とも照れ臭そうに小さな声であたしのことを。
「…乱菊ねえちゃん」
と、呼んでくれた。
それが酷く面映かった。
だけど今はもう、冬獅郎が。
あたしのことを、…ねえちゃん・と。
呼んでくれるようなこともなくなった。
お嬢さん、と。
いつしか店の奉公人として、一線を引くようになったのだった。

ねえ、何もあたしは大店のお嬢さんってわけじゃあないんだから、今までどおり「乱菊ねえちゃん」って呼んでくれて構わないのよ?
この家の誰もがアンタのことを、実の家族のように思ってるのよ?

繰り返し、繰り返し。
それこそ何度言い聞かせたかもわからない。
それでもあの子は頑として、首を縦に振るようなことはなかったのだった。
(それをあたしがどんなに寂しいことと思ったのかも知らないで)
勝手に一線を引いて、距離を置いて。
ひとりあたしが戸惑う内に、さっさと大きく育ってしまった。
大人の男になってしまったのだ。






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