[携帯モード] [URL送信]
9.


嫌われている、などと思っちゃいない。それこそ、微塵も。
むしろ感じていたのは『好意』以外のなにものでもないのだから。
(そうでなければ、事あるごとに、こうも俺を頼らねえだろう?)
だからって、この女の持つ俺への『好意』が、愛だの恋だのの類じゃないことぐらい、哀しいかな痛いくらい自覚していた。…つもりだった。
その、つもりだった…のだが、わからなくなった。唐突に。

5つも年上の女の癖に。
5つも年下の小学生の餓鬼相手に泣きながら「好きだ」と繰り返す、目の前の松本を見ていたら何もわからなくなっていた。

(だって…どう考えても、ありえねえだろ?)
こんな…俺みたい餓鬼のことを本気で、好き、なんて。
ありえねえだろ?
それでも松本の涙は本意ではない、俺にとって。
泣かせたくはないのだ。何があってもこの女だけは、これ以上。
傷付いてばかり、傷付けられてばかりの松本にとって、せめて俺だけは唯一の『逃げ場』で在りたいと思っていたから…だから。
わかったような振りをした。


「わかった、お前の気持ちはもう充分ってぐらい伝わったから…」


だから、頼むからこれ以上泣くな。
肩肘をついて半身を起こし、シャツの袖口で止め処無く溢れる涙を慌てて拭った俺に、だけど松本は酷く哀しげな表情を浮かべると、「うそ、」と言って俺を罵った。
「…うそ。なんにもわかってないよ、とーしろーは!」
「っ!」
咄嗟。
振り払われた、右腕と。
何故か、心臓までもがツキリと痛みを伴った。
「…まつも」
「どうせあたしなんてバカで考えなしのおんなだからぜったい信じてくれないと思うけど、あたしほんとうに…付き合うならとーしろーがいいなってずっと思ってたんだもん。すんごい悔しいけど、冬獅郎ってばすっごい『いい男』なんだもん。やさし過ぎるんだもん。これで小学生なんて、ほんと詐欺よ。こんなふうにやさしくされたら、好きになっちゃうにきまってるじゃない…バカだから。だけどいっくら好きになったって、こんなお馬鹿なあたしじゃもう絶対ぜったいぜえーったいに相手にされるわけないし望みないってわかってたから、だから頑張ってあきらめようとしたんだもん。…でも、ダメなの。いっくら探してもいないんだもん、とーしろーみたいな男の子なんてほかに。だからもう、ぜったいあたしの一生分の男運、とーしろーと仲良くなったことでぜーんぶ使い果たしちゃったに違いないのよ。…なのに、なによ。とーしろーなんてどうせその内あたしのことなんて放りだして可愛い彼女作っちゃうくせに。あたしの男運ぜーんぶアンタが奪ったくせに…ずるいわよ」



俺の手を振り払い、呼びかける声をも遮って、はらはらと涙を流しながら理不尽に俺を詰るこの女は。
果たして、今。
自分が何を言っているのか、ちゃんとわかっているのだろうか?
こんな唐突に好きだと告げられ、どうしようもなく動揺しているこの俺の心の内をわかって言っているのだろうか?
…否。
ぜってえわかってねえだろ、お前。
望みがない、だと?
俺に相手にされるわけがない、だと?
…馬鹿言え。
どう考えたってそりゃあこっちの科白だ。
こんな年下の餓鬼、お前の目に『男』として映る筈がないだろう、と。
こうして傍に居ながらも、傷付くお前を目の前にしながらも、それでもずっと…抱き締めてやることも況してや触れる勇気すらなくて、焦燥と諦念を余儀なくされてきたのは俺の方だ。
慰めてもやれない、寂しさを埋めてやることも出来ないちっぽけなこの手を、この腕を…何より悔しい、と。握り締め、ずっと堪えてきたのは俺の方じゃねえか。馬鹿野郎。
つか、もう色々面倒くせえなと思った。
あれこれお前のことで考えんのも苛立つのもくだらねえ男に引っかかっちゃあそのたびに俺に泣きついてくるお前見てんのも他の男に泣かされたお前の世話すんのも自分の気持ち押し殺して誤魔化してんのも、ぜんぶ。



*
*

「なんにもわかってねえのは、お前の方だろ」


不貞腐れたように、低く、小さく呟いて。
それから…触れた。
見上げた先にある、さくらんぼみてえな あかいくちびる、に。
一瞬、驚きに大きく見開かれた松本の瞳。
赤い果実に良く似た弾力あるそのくちびるからは、やっぱり…甘い果実の匂いがした。



「…っ、と、しろ…?」
上気する頬を惜しげもなく晒す、女のくちびる。
戸惑い気味に揺れる瞳。
ああ、そういや松本から戯れにくちづけられることはあっても、俺から松本に触れたことは一度としてなかった筈だ。
だから松本が驚くのも無理はない。
つか、実際俺だって驚きだ。
(まさか自分から松本に触れる日が来るだなんて、思ってもいなかったのだから)
…けど。
本当は、いつだって触れたかったんだ、自分から。
あんな…戯れだけのキスなんかじゃなくて、気を引く為だけに為されたようなキスなんかじゃなくて…。
もっとちゃんと、心の通い合ったキスがしたかったんだ、本当は。
「言ったろ?お前の気持ちならもう、充分伝わってるって」
呆然と俺を見下ろす松本の髪を軽く引き、そっと一房耳にかけてから指を離す。
そうして露になった薄く白い耳朶に、そっとくちびるを寄せて言葉を注ぐ。
俺だって…ずっとお前のことが好きだったよ、と。
…だから。



「だから、お前。『俺』で一生分の男運使い果たしたっつーなら、いつまでも残りカスみてえな男ばっか漁ってねーで、もう素直に『俺』にしとけ」


言って。
笑った俺に、松本の瞳から再び涙が一粒、ころんと落っこちた。
つか、多分。
それがお前にとっても俺にとっても、一番の『最良の策』なんじゃねえの?





[*前へ][次へ#]

10/28ページ

[戻る]


あきゅろす。
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!