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眠りの森の茨姫
02
紅炎の趣味は、歴史の研究である。理解され難い趣味ではあるが、本人の真剣さは本物。そして僅かながら理解者もいた。今日も長椅子で眠る緯夜も、その一人

ふと、閉じられていた瞼が音も無く開かれた。のそのそと起き上がる緯夜に、紅炎も読んでいた書物を一旦閉じる


「起きたか」

『…炎兄』


起き上がった緯夜は、長椅子から足を下ろすとしっかりとした足取りで紅炎の下に向かった
普段の緯夜なら起きずに二度寝するか、起きてもすぐには覚醒しない。実に珍しいこと。この理由を、紅炎は知っている


「"夢"を…見たのか」

『ん…"昔"の』


寄ってきた緯夜は、普段と大して変わらない。だがそれが今、僅かに眉が潜められている。それもこれも、全て"昔の夢"のせい

表情を歪める緯夜に、紅炎は眼下の銀髪に指を通した。それに、今度はどこか拗ねたような表情に変わる


『炎兄…僕の精神年齢忘れてない?』

「おっと、そうだったな…すまん」

『ホントは僕の方が年上なんだからね〜』

「わかっているさ」


事情を知らない者には理解し難い話。この二人だからこそ通じる会話の最中も、紅炎の手は緯夜の銀髪を撫でるのをやめない。口と行動が合致していない


『炎兄、今日は何読んでるのォ?』

「いつも通り、トランの碑文だ」

『ふーん…』


聞いておきながら興味無さげな反応。だが紅炎に特に気にした様子は無く、寧ろ緯夜も見易いように碑文を寄せている


「"前の世界"も、異なる言語や文字があったのか?」

『いっぱいあったよ?国の数よりは少ないけど、こっちよりもずーっとたくさん』


指折り一つ一つ上げる緯夜に、紅炎は興味津々に聞き入る。何気ない平和な時間。だがそれはごく僅かなもの


『炎兄、戦の準備はいいの?』

「ああ…そう急ぎではない。もう暫くは大丈夫だ」

『大変だねぇ。どこの世界も戦争、戦争…』


国、ではなく世界と表現する緯夜。特に訝しむ様子も無く、紅炎はただ複雑な表情をするばかり


「緯夜…お前、あまり人前で鍛練してないだろうな?」

『あー大丈夫。夜にちょこちょこやってるくらいだし、人がいないことも確認してるしィ』

「ならいいんだ」


安堵を隠しきれていない紅炎。心配していると一目でわかる様子だが、緯夜は無表情のまま。喜ぶ様子も、心配をかけたことに対する罪悪感も見られない


『炎兄…過保護』

「かっ…!?別にそんなことは、」

『そんなことない、なんて言えないよォ?実際の精神年齢は僕の方がずーっと上なのに』

「そうだが…いや、見た目は紅玉と大して変わらないからな…」

『その内シスコンって言われたりして』

「何だそれは…」


見た目に大きな差があるものの、対等な、いや緯夜が少しだけ優位に立った会話。ほのぼのとした時間だが、緯夜は終止無表情。それに紅炎の表情も少し歪む


「…緯夜」

『ん?』


す、と伸ばされる手。それは銀髪ではなく、緯夜の腰元に差された、皇女以前に少女には似合わぬ刀に触れた。純白の、どこか異質なそれに


「緯夜…わかっているな?」

『うん』

「この刀は、何があろうと絶対に抜くな」

『うん』

「絶対に…決して、この刀だけは取るな。いいな?」

『うん』


真剣な紅炎に、単調な緯夜。大きな差はあれど、そこには二人にしかわからぬ世界があった

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