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突然の雨
貴船神社を出て少し行くと、雲行きがだんだん怪しくなってきた。


先ほどまで全く雨の気配などなかったのが嘘のようで、頭上を覆う空は青から濃い灰色へと変わってゆく。



『この様子では雨が降り出すのも時間の問題だな。』


「…すみません。三千院から真っ直ぐに帰っていれば、こんなことにはなってなかったのに。」


『何故、お前が謝るんだ?俺が勝手に連れて行きたいと思ったんだ、俺が謝るのが筋だろう。

だが、あのまま帰ったとしても、もしかしたら降られていたかも知れんな。気にすることはない。

取り敢えず、しっかり掴まってろ。速度を上げる。』



櫻が急いで腕を九郎の腰に回すと、それを待っていたかのように勢い良く馬が走りだした。


逞しい九郎の背中に密着していると、こんな時なのに心は正直で不謹慎にもドキドキしてしまう。


そして、九郎も九郎でまた、背中に感じる柔らかい感触に意識が集中してしまっていた。


雑念を振り払おうと手綱を握り直した時、火照る頬に冷たい雫が一粒あたった。


『思ったよりも早かったか…』


ぽつんぽつんと降り出した雨は次第に大粒へと変わり、雨脚はますます強まってゆく。


背中に打ちつける雨で着物は濡れ、山の中という事もありこの季節でも櫻は肌寒く感じていた。


止むことなくいっそう激しくなる雨の中、突然九郎は馬を止めると羽織を脱ぎ、櫻の頭に掛ける。


『これを被っていろ。今更だが、少しは違うだろう。』


「でもっ、それでは九郎さんがっ!」


『俺は男だ。お前なんかより余程鍛えてあるからな。こんな雨にあたったぐらいで、風邪をひくほど柔ではないぞ。

だが、このまま山道を進むのはまずいな、道が泥濘んできた。この近くに俺の師の庵があるから、そこで一先ず休ませていただこうと思っている。』


そう言われ櫻は足もとに視線を動かすと、雨水が川のようになり地面を流れているのが見える。


自分にはできること何もないけれど、少しでも九郎が濡れないようにと櫻は九郎の背を自身で覆い、庵に無事に着くよう祈りながら、ただただ待った。



暫く行き、九朗は小じんまりとした庵の前で馬を止めた。


二人で庵の前に立つが、中は明かりも点いておらず、人の気配さえも感じられない。


『先生!九郎です。居られますか?』


戸口で叫ぶ九郎に応えることもなく、中は静まり返っている。


『先生はよく庵を空け、旅に出られる。今はいらっしゃらない時期なのかも知れないな。』


溜息混じりに九郎はそう呟くと、意を決し戸に手を掛けた。


『不在中に失礼致しますっ!』


律儀にも謝罪し、九郎は庵の中へと入ってゆくと、囲炉裏の煤を確認した。



『どうやら先生は暫く此処には帰ってきてはいないようだな。

そんな所で見ていないで、櫻、お前も入ってきたらどうだ。

このような事でお怒りになるような、心の狭い先生ではないから安心しろ。』


「勝手にお邪魔してしまって本当にすみません。」



戸口で中の様子を窺っていた櫻も恐る恐ると庵の中に入ってくる。



九郎はいつの間にやら薪を持って来ており、慣れた手つきで火をおこし半身になり着物を乾かし始めていた。



どうしていいか分からず立ち尽くす櫻に気づいた九郎は、火に近づくように促した。



『そんな所に突っ立っていないで、もっと火に寄ればいいだろうが。それにその着物も早く脱いで乾かした方がいい。』


「あ…はい。でも…」


そう返事をし、櫻は火の前に座るが、俯いたっきり動こうとしない。


いつもの様な元気がない櫻を不思議に思った九郎は、側に行き顔を覗き込んだ。


『気分が悪いのか?』


櫻は首を振って大丈夫と答えるだけだったが、血の気のない唇はぶるぶると小刻みに震えている。


『寒いのか?』


すると、櫻は俯いたままコクリと頷いた。


『馬鹿!いつまでも冷たくなった着物など着てるから温まらないんだ。』


「でも…恥ずかしいですし…」


『こうゆう時は仕方ないだろうが。もしかしてお前は俺を見るのも恥ずかしいから、さっきから下を向いてるのか?!』


ぐずぐずしている櫻に少し苛立っていた九郎だったが、理由が分かると困ったように溜息を吐き、櫻の後ろにまわる。


『お前も女子なのだったな。気持ちに気づいてやれなくてすまなかった。

俺が後ろに座れば俺を見ることもないし、俺に見られることもないだろ?

取りあえず脱いだら俺がそれを干してくるから、座っていろ。』


「…すみません。」


櫻は素早く着物を脱ぐと、濡れた着物を九郎に手渡す。



「こんなことまで九郎さんにさせてしまって、本当にすみません。」



そう言って単衣姿で膝を抱えて座る櫻の背は、ひどく頼りなげに見え九郎は抱き締めずにはいられなかった。



「く、九郎さん!?」


驚く櫻など気にもせずに、九郎はその想像以上に細い櫻の肩を後ろから抱き寄せる。


櫻の髪から漂う柔らかい香が鼻を掠め、女であることを実感させられる。


硝子細工のように壊れやすそうなこの華奢な身体を


…守りたい


お前の華のような笑顔をずっと見ていたい


こうやって触れていたい



ああ…これが誰かを愛おしいと思うことなんだな



己の中で答えを見つけた途端、意外にも照れよりも先に大胆になってゆく自分がいる。




『こうやって肌を寄せ合っていれば、早く温まる。』



「はい…、あの…ありがとう…ございます。

でも…逆に九郎さんが寒くなってしまうんじゃ…、この単衣だって濡れてますから。」




『そう思うのなら、それも脱げばいい。俺から見えないことは変わらないからな。』



躊躇うことなく単衣を脱がされてしまい櫻はいっそう身体を縮める。



真綿のように真っ白で絹のように滑らかな肌が、九郎の肌に吸い付いてくる。



重なる場所がじわりじわりと熱を持ち、互いの冷えた身体を温めてゆく。




九郎が心地よさに肩に顔を埋めると、櫻はビクンと身体を強ばらせた。



「九郎さん…、やっぱりこんな姿は…いけません。」『何がいけないんだ?』



「私にとっては…こうして男の方の前で自らの肌をさらけ出すのは…初めてで…


九郎さんは…見慣れてるかも知れないですが…」



頬を桃色にさせ、潤んだ瞳を向けられた九郎は、引き寄せられるように櫻の唇に自らのを重ねていた。




「………!?」




九郎はゆっくりと離すと真っ直ぐな櫻を見つめる。



『俺は女子の身体に見慣れてなどいない。

お前に出逢うまで女というものに興味を抱いたことなんてないに等しい。


俺は初めて誰かを愛おしいと思った。


まあ、俺の中でこの感情が何なのか気づいたばかりなのだがな。


櫻、お前に会えなかった日々は自分でもおかしいくらいに落ち着かないものだったんだ。


だが今は違う。お前が俺の腕の中にいる…ものすごく心が安まる。


お前が好きなんだ。』



自分の耳を疑うように驚いた顔で話を聞いていた櫻は嬉しさに涙が込み上げてくる。



「九郎さん…、私も九郎さんのこと…すごく…好きです。」



『馬鹿だな、泣く奴があるか?』



九郎はそう言うと零れ落ちる雫を優しく指で掬う。



そして、どちらからともなく二人は唇を重ねていた。




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