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悪魔のホロスコープ
Horoscope.22 蟹は食っても食われるな 3
 ラジュのお屋敷の広々とした庭では、特にすることもない、暇そうなレントが、使い魔の瓶ゴンとともに、ゆったりと散歩を楽しんでいた。
「気持ちいいねぇ〜、瓶ゴンっ」
「ガメぇ」
 レントの言葉に、瓶ゴンが頷いているのかはよくわからないが、唸るような声を漏らす。

―――バンっ!

「んっ?」
 上方から聞こえてくる大きな音に、顔を上げるレント。
「あっれぇっ?」
 レントが上を見上げると、書斎の窓から、黒い翼を広げて飛び出していく、どこか慌てた様子のラジュの姿が目に飛び込んできた。
「ラジュちゃ〜んっ?」
「ガメぇっ?」
 どこかへと飛んでいくラジュに、レントと瓶ゴンが同時に首を傾げる。
「ちょっちょっとぉ〜っ!ラジュちゃ〜んっ!」
 レントは背中に翼を広げ、慌ててラジュの後を追った。




 その頃。星ノ原高等学校・屋上。
「うぅ〜んっ、いい眺めだっ」
「……。」
 下校時刻も過ぎ、誰もいない屋上で、部活動の始まった校庭を、どこか楽しそうに見下ろすトージ。そんなトージの後方で、大和は浮かない表情を見せていた。
「……っ」
 トージが右手に持っている大鋏を見つめ、大和がそっと目を細める。突然、大和の前に現れたトージは、“屋上で話そう”と言っただけで、特に大和を脅迫するような素振りは見せなかったが、その武器を消すこともなかった。
「そんなに警戒しなくても、誰も鋏向けて“王にしろ”なんて、脅したりしないよぉっ」
「……っ」
 校庭を眺めたまま、まるで大和の心の内を読むような言葉を投げかけるトージに、大和が眉をひそめる。
「正直オレっ、星魔王にまったく興味ないしねぇっ」
「えっ…?」
 大和の方を振り返り、微笑むトージに、大和が戸惑ったような顔を見せる。
「けどっ、ラジュさんをお妃さまにしたいってっ…」
「あんなの冗談に決まってるだろうっ?」
「そう…なんですかっ…?」
 トージの言動を見れば、あれが冗談だったとはとても思えない。そう思いながら、大和が少し顔をしかめる。
「それに今のとこっ、お嫁さんになってもらうのも難しそうだしねぇっ」
「はぁ…」
 しみじみと呟き、肩を落とすトージに、眉をひそめたまま、相槌を打つ大和。
「でもまぁっ、ここまで勝ち上がって来たのが、ハニー絡みだってゆうのは間違いないけどっ」
「えっ…?」
 トージの言葉に、大和がまた戸惑うように、首を傾げる。
「ハニーってさぁ、負けず嫌いでしょ〜っ?」
「あっ、はいっ」
 問いかけられた大和が、迷うことなくすぐさま頷く。
「だから絶対、星魔王に興味もないのに勝ち上がって、人間界に行っちゃうって、そう思ったんだよねぇ〜」
「……。」
 またしても校庭に視線を移し、どこか穏やかな笑みを浮かべるトージを見つめ、大和がそっと目を細める。
「ラジュさんを…追って…?」
「うんっ」
 大和が問いかけると、トージは迷うことなく答えた。
「だって、人間界でハニーとデートとか最高じゃなぁ〜いっ?」
「はぁ…」
 陽気な笑顔を見せるトージに、大和が少し呆れた様子で頷く。
「それにっ、ハニーって無茶ばっかりするからっ…」
「……っ」
 ラジュの身を案じるような、優しい笑み。そのトージの笑みが、作られたものとは到底思えず、トージを見つめた大和は、少し驚いたような表情を見せた。
「とても…大切な人なんですね…」
「んっ?」
 大和の声に、トージが振り向く。
「ラジュさん…」
「……。」
 トージの笑顔を見つめていた大和が、自分も思わず穏やかな笑みを浮かべ、その笑みをトージへと向ける。大和の微笑みを見つめ返しながら、トージはそっとその瞳を細めた。
「そうだね…」
 少し俯いたトージが、低く小さな声を漏らす。
「だから…」
「トージさんっ…?」
 明るく陽気な口調から、暗く重い口調へと変わるトージに、少し首を傾げる大和。

「だから…君がちょっと邪魔かなっ…」
「えっ…?」
 笑みを消し、鋭い表情を見せたトージが、右手に持っていた大鋏を構え、その鋭い刃先を大和へと向けた。

「ハニーの心に踏み込む君が…ちょっと邪魔かなっ…」
「トージ…さんっ…?」

 向けられる刃と、刃よりも鋭いトージの視線に、大和の額から、汗が流れ落ちた。




「リーシャっ!」
「へっ?」
 教室で大和を待っていたリーシャが、よく聞き覚えのある声に名を呼ばれ、振り向く。
「リーシャっ!」
「ああぁ〜!リーシャちゃんだぁ〜っ」
『ぎゃあああああああっ!』
「ラジュっ?レントっ?」
 黒い翼を広げたまま、三階の教室の窓から、勢いよく飛び込んでくるラジュとレント。その有り得ない状況に、リーシャよりも、教室に残っていた他の生徒たちが、激しい悲鳴をあげる。
「へぇ〜っ、ここが教室かぁ〜っ」
『ひえええええぇぇっ!』
 生徒たちが震え上がる中、レントは興味深そうに教室を見回す。
「やっぱり僕も通おっかなぁ〜っ」
「やめろって言ってんでしょ、このハゲっ」
 ウキウキとした笑顔を見せるレントに、リーシャの冷たい一言が炸裂する。
「ううぅっ…瓶ゴォ〜ンっ…僕、ハゲてないよぉっ…」
 ポケットから取り出した瓶ゴンに、レントが勢いよく泣きつく。
「ラジュは通うんだったら、ランドセル背負って小学校にっ…」
「そんなくだらないことを言いに来たと思うかっ!?」
「へっ?」
 珍しく声を張り上げるラジュに、リーシャが少し驚いた様子で、目を丸くする。
「大和はっ!?大和はどうしたっ!?」
「大和ぉ〜?大和ならレジャーランドでオッケーって…ってっ」
 答えていたリーシャが、ハッとした表情となる。
「何っ!?大和に何かあったわけっ!?まさか新しい悪魔っ!?」
「違うっ、トージだっ」
「トージっ?」
 焦ったように問いかけるリーシャに、ラジュが短く答える。
「でもトージは昨日っ…」
「私の読んでいる本に、こんなものが入っていた」
「えっ?」
 そう言ってラジュが、先程本から落ちた、小さな紙切れをリーシャへと手渡す。
「えぇ〜っと、何々ぃ〜?“中嶋大和クンは預かったよぉ〜んっ、ハニーは急いでオレのところっ、つまり学校の屋上まで来てねぇ〜”」
 リーシャが紙切れに書かれた、トージからの手紙の内容を読み上げる。
「一風変わったラブレターね」
「どう見ても脅迫状だろうがっ!」
 頷きながら呟くリーシャに、ラジュが勢いよく突っ込みを入れる。
「とにかく屋上へ行くぞっ!」
「えっ、ええっ!」
 強く叫ぶラジュに、さすがのリーシャも真剣な表情を見せて、頷く。
「でっ」
「でっ?」
「屋上とはどこだ?」
「あららっ」
 眉をひそめ、周囲をキョロキョロと見回すラジュに、リーシャは思わず肩を落とした。




「トージ…さんっ…」
 向けられた刃に険しい表情を見せながら、戸惑った様子でトージを見つめる大和。
「……。」
 大和へ、今までに見せたこともないほどの、冷たい顔を向けるトージ。
「僕は…」
 戸惑いながら、大和がゆっくりと口を開く。
「僕はっ…んっ?あれっ…?」
 トージに何かを訴えかけようとして、思わず一歩踏み出した大和が、ふと何かに気づいた様子で、トージの構えている大鋏を見る。
「これって…」
「大和っ!!」
「……っ」
 大和がじっくりと大鋏を見ていたその時、屋上に大和の名を呼ぶ、大きな声が響き渡った。

「ラジュさんっ」
「大和っ!」
「大和クンっ!」
「リーシャさんっ、レントさんもっ」

 下から飛び上がって来るようにして、屋上へと現れたのは、大きく翼を広げたラジュ、リーシャ、レントの三人であった。先程の教室の窓から飛び上がって来たのだろうか、下方から生徒たちの悲鳴のようなものが聞こえている。

「遅いわよぉっ!大和っ!人をいつまで待たせる気よっ!?」
「すっ…すいませんっ…」
「リーシャちゃん、今、そんなこと言ってる場合ぃ〜?」
「トージっ!」
 リーシャに怒鳴られて、大和が謝っている中、ラジュが険しい表情で強く、トージの名を呼ぶ。
「お前っ…!」
「言ったでしょう…?ハニー…」
 身を乗り出したラジュへ、トージが冷たく微笑みかける。
「いつまでも気づかないと…」
「うっ!」
「大和っ…!」
 トージが構えていた大鋏を左右に開き、その刃の間に大和の首を挟んで、ゆっくりと鋏を閉じていく。思わず声を漏らす大和に、さらに身を乗り出し、目を見開くラジュ。
「失っちゃうよって…」
「クっ…!」
 徐々に狭まっていく鋏に、ラジュが唇を噛み締める

―――パァァァァァンっ!

「このっ…!」
 素早く両手を振りかぶり、どこからともなく出した金色の弓矢を、勢いよくトージへと向けるラジュ。
「トージっ!!」
「あっ…!」
 トージへと狙いを定め、勢いよく弓を引くラジュに、大和が焦ったような表情を見せる。
「ちょっと待って下さいっ…!ラジュさっ…!」
「えぇ〜いっ!」
 大和がラジュを止めるような声を放とうとしたその時、トージが陽気な声とともに、勢いよく鋏を閉じた。
「ああっ…!!」
 ラジュが大きく目を見開いた、その時。

―――ぐにゃぁぁ〜んっ。

「へっ…?」
 両側から勢いよく、大和の首に突き刺さったはずの大鋏の刃が、金属とは思えないような、有り得ない方向に、柔らかな音を立てて曲がる。
「なっ…何だっ…?」
 弓矢を構えたまま、目を真ん丸にして、その曲がった鋏を見つめるラジュ。

「びっくりしたぁ〜っ?ハニーっ」
「えっ…」
 聞こえてくるトージの陽気な声に、ラジュが戸惑うように振り向く。
「オレの鋏ってばぁっ、人間界に来たことで、ゴム製の柔らか素材に変わっちゃったのでしたぁ〜っ!」
「なっ…!」
 笑顔でそう言って、持ち手の部分を思い切り曲げて見せるトージに、ラジュが大きく目を見開く。
「何だとぉぉっ…!?」

―――パシャっ!

「……。」
 ラジュの驚きも一瞬で冷める、よく響くシャッター音。

「びっくりハニーの写真、ゲットぉ〜っ!」
「トージっ…」
 ゴム製鋏を横抱きにし、どこからともなく出したカメラを構えて、とても嬉しそうに微笑むトージに、ラジュが弓を引く手に、さらに力を込めた。
「やっぱりここで射抜くっ…!!」
「あっ、そのまま構えてぇ〜っ!いいねいいねぇ〜っ!」
「……。」
 弓を構えたラジュを、回り込みながら写真撮影し出すトージに、もう矢を放つ寸前であったラジュの勢いは、一瞬にして止まった。
「お前なぁっ…!」
「気付かなかったぁ?鋏がゴム製になってることぉっ」
「気付くかっ!」
 鋏とカメラを消しながら問いかけるトージに、ラジュが強く怒鳴り返す。
「だいたいっ、なんでこんな紛らわしい真似っ…!」
「ただの人間の中嶋大和クンだって、気付いてたのにぃ〜っ?」
「……っ」
 トージの言葉に、ラジュがハッとした表情を見せて、言葉を止める。
「そっそれはっ…!」
 少し焦るように、声を発するラジュ。
「大和の方が至近距離で見ていたしっ、私は少しの間しか鋏を見ていなかったからだなぁっ…!」
「君は冷静な人だよ、ハニー」
「……っ」
 落ち着いた口調を投げかけてくるトージに、ラジュが再び言葉を止めた。
「いつだって正しい判断が出来るっ…だから長老たちも、君を警護役に選んだっ」
 穏やかな笑みを浮かべたトージが、まっすぐにラジュを見つめる。
「そんな君が…鋏が金属で出来てるかゴムで出来てるかもわからないなんてっ…」
 ラジュを見つめるトージの視線が、徐々に鋭くなる。

「一体、何に…そんなに焦っていたんだろうねぇ…?」
「……っ!」
 どこか試すように問いかけるトージに、ラジュは大きく目を見開いた。

「お前っ…私を謀ったのかっ…?」
「言ったでしょっ?“警告”だってっ」
 険しい表情を見せるラジュに、トージがそっと微笑みかける。
「いつまでも気付かないとぉ、ホントにオレのお嫁さんにしちゃうよぉっ?」
「誰がっ…!」
「じゃっ」
「へっ?」
 話も終わらぬ内に、背中の翼を大きく広げ、その場で浮かび上がるトージを、ラジュが戸惑うように見上げる。
「じゃあまたっ、すぐに会いに来るから、寂しがらないでねっ!ハニーっ!」
「誰が寂しがるかぁっ!」
「じゃっあにぃ〜っ!」
 ラジュの怒鳴り声を聞きながら、トージは背中の翼を広げ、あっさりと屋上から飛び立っていった。

「結局、何がしたかったんだろぉ〜?トージクン〜」
「さぁっ?」
「……っ」
 リーシャとレントが呆れたように会話を交わす中、すぐ傍に立つ大和が、そっとラジュの方を見つめる。

「“全部わかってます”みたいな顔して…」
 トージの飛び立っていった空を見上げ、ラジュが目を細める。
「私がっ…何に気付いてないって言うんだっ…」
 ラジュの戸惑うような声が、屋上に小さく落とされた。




 蟹座のトージ事件が嵐の如く過ぎ去り、やっと平穏の戻ったお屋敷。
「ふっはぁっ!」
 ラジュがぐったりと、書斎の椅子に座り込む。
「いつもの五十倍は疲れた…」
「お疲れ様です」
 力の抜け切った様子で呟くラジュに、大和が笑顔を見せながら、いつものように麦茶を差し出す。
「でも結局トージさん、何がしたかったんでしょうねぇっ?」
「……っ」
 トージの行動の真意が理解出来なかったのか、大和が深々と首を傾げる。そんな大和の言葉を聞きながら、麦茶を一口飲んだラジュは、その表情を曇らせた。

―――いつまでも気付かないとぉ、失っちゃうよぉっ?―――

「……。」
 トージの言葉が、頭を巡る。
「なぁ、大和っ…」
「はいっ?」
 静かに名を呼ぶラジュに、大和が振り向く。
「私っ…」
 ラジュが真剣な表情を見せ、まっすぐに大和を見つめる。
「私はっ…」
「……っ?」
 いつになく真面目な顔つきのラジュに、少し戸惑うように首を傾げる大和。
「私はっ…!」
「行列の出来る有名ケーキ店のショートケーキ買って来たわよぉっ!」
「シュークリームもあるよぉ〜っ!」
「だあああああっ!」
 ラジュが言葉を発しようとした、まさにその時、書斎の扉が勢いよく開き、暢気な笑顔を見せたリーシャとレントが、甘い匂いを漂わせて入って来た。意気込んで立ち上がろうとしていたラジュが、思わずその場に倒れ込む。
「うわぁ〜美味しそうですねぇっ」
「でしょでしょっ?」
「痛たたた…」
 ケーキを囲み、楽しそうな笑みを見せる大和とリーシャを余所に、倒れた時に打った背中を押さえ、ひっそりと立ち上がるラジュ。
「あっ!そうだっ!ケーキと言えばぁっ、もうすぐ大和、誕生日なんだってっ!」
「そうなのぉ〜?」
「はいっ」
 シュークリームを頬張りながら問いかけるレントに、大和が笑顔で答える。
「その時は、家よりでっかいケーキ、買いましょうよっ!」
「売ってたらいいですけどねぇっ…」
 大きく両手を広げ、やる気満々に言い放つリーシャに、大和が、少し呆れた笑顔を送る。
「それで皆でパーティーすんのっ!」
「パーティっ!?うわぁっ!楽しそうだねぇっ!」
「あんたは入れてやんないわよっ」
「ええっ!?」
 さも当然のように言い放つリーシャに、激しくショックを受けるレント。
「うわぁぁぁ〜んっ!瓶ゴォ〜ンっ!!」
「ねっ!?ラジュっ!」
「えっ…?」
 瓶ゴンに泣きつくレントの横から呼びかけるリーシャに、改めて椅子に座ろうとしていたラジュが、少し戸惑うように振り向く。
「……仕方ないなぁっ」
 椅子に座り、そっと肩を落とすラジュ。
「やるかっ」
「えっ…?」
 そう言って、ラジュが大和に微笑みかけると、少し驚いたように目を丸くした大和も、すぐに笑みを零した。
「はいっ!」


 少しずつ何かが変わろうとしている。それでも今は、もう少し、このままで。

 残る悪魔は、あと二人。



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