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集 -4



 翌朝、まるで朝餉が終るのを見計らったが如く八朗の借りている一室に溯がやって来た。
「行くぞ、八!」
 ご丁寧に肩に鶴橋を提げている。再び牙諒山に入る気だ。
 その為に来たと言える八朗だが、はっきり言って面倒臭い。しかし絵巻を無事に持ち帰らねばならなかった。
「てきとうに掘ったって当たりゃせんぞ。何か確信があってそんな物を持ち出しているんだろうな?」
 昨日の様子ではとてもそうとは思えない。案の定何とかなるだろと軽い返答が返って来た。
 頭が痛くなってくる。
「……お前なぁ、そんな半端な覚悟じゃ見つかるものも見つからんぞ」
「……いや、覚悟って…」
 そんなに重大事に取られても困る。所詮道楽なのだが。
 調査しただろう資料を見せろと右手を突き出され、溯は渋々自室に戻る。
 平積みにした巻物を差し出すと、八朗はその全てに目を通し始めた。これではいつ山に行けるやら分かったものではない。
 部屋を出たのはそれから半刻後の事だった。とんだ時間の浪費である。
 表に回るのも面倒で庭を突っ切っていた時だ。二人を呼び止めた声があった。
「溯。出掛けるの?」
 庭に面した座敷から顔を出したのは溯の五番目の姉だった。
「まぁ、与謝野殿。いらしてたんですね」
 その姉の登場に、八朗は打ち顫えた。もう死んでも良いとさえ思う。
「これはお多江様!はい、昨日よりお邪魔しております」
 隣で溯が白けた視線を寄越しているのが分かったが、八朗は構いはしなかった。
「いつもご免なさいね。弟の我が儘に付き合わせてしまって……」
 多江は頬に手を添えて神妙な顔をする。その儚げな姿にくらりとした。
「何を仰います、溯殿は我が心の友。友の為尽すは当然ではございませぬか。不祥この府親、溯殿にならばこの命預けても良いと思っております」
 多江はまぁ、と感嘆すると障子から全身を現し縁側に座った。膝の側の床を叩き弟を呼ぶ。
「あなた、こうまで言って下さる与謝野殿をあちこち連れ回す気? 何なのその鶴橋」
 溯はそれには答えなかった。鬱陶しそうに姉を見やる。
「多江姉、何しに来たんですか?」
「お祖父様に呼ばれたの。ついでに綾姉さんの見舞いにと思ってね」
 尋ねておきながら「へぇそうですか」と溯はかなりおざなりだ。
「綾姉に宜しく。じゃ」
 小言が降って来る前に逃げるに限る。悠長に挨拶している八朗の首根っこをひっ掴み、溯は風の如く庭から駆け出した。ひらりと塀を跳び越える。
「さぁ行くぞ! 溯!!」
 それまでの不満たらたらな様子は何処へやら。幸せ一杯の顔で牙諒山を指差す八朗に、逆に溯の意気は消沈する。
「……簡単な奴だなぁ」
「…あぁ、今日もまた麗しかった……」
 人の話など聞いてやしない。
 宙を見つめうっとりと頬を染める──何処の乙女だ──八朗はベラベラと多江を誉め讃えた後「姉弟とは未だ信じられん」と真顔で言う。会う度言われているので溯もいつもの台詞を返した。
「あの人と同じ腹の中に入ってたと思うと悲しくなるね」
 同じ腹から生まれたのは他にも五人居るが、互いに言及しない。それも常の事である。
 昨日と同じ道を辿りながら山を登り始めた頃、そう言えば、と八朗は訊いた。
「お綾様は今度は何を病んでいらっしゃるんだ?夏風邪か?」
 数多いる溯の姉、従姉の中でもこの末っ子総領と最も類似した容姿を持つのが綾だった。白に近い髪の色や切れ長の目。表情なども良く似ている。虚弱体質と云う一点のみが溯とかけ離れた所だった。
「ただの恋患いだ。そこに夏バテがきてぶっ倒れただけさ」
 いつもの事と、心配している風でもない。
 昨日と同じ場所に到着すると、溯は鶴橋を器用にくるくる回して周囲を見渡す。
「奥だな」
 八朗は巻物を広げた。


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