帰郷 -4 ◇◆◇◆ 全員抜けたのを確認し化物道の口を閉じる。靄は漂い続けていたが幾らもせずに晴れた。 桂丸は大きく息を吸う。郷山の匂いだ。戻って来た。 近くに建ててある小屋から運び出した駕籠に猗左衛門を乗せ坂を下る。裾野とは云え山中にしっかり舗装された道が郷の端まで続いている。 町に入ると最初に目に付くのがその菓子屋だった。店先で遊んでいた童がやって来る一団に気付いて店に飛び込んだ。 先頭が店先に差し掛かる頃、今度は若者がひょっこり顔を出す。 「ああ、おかえりなさいまし」 この店の跡取り息子だ。ご苦労様です等と声をかけてくる。 桂丸は臣らの間を縫ってこの男に近寄った。すると途端に男の口調はがらりと変わる。 「おー、隆茉ぅ。何だお前、くたびれた顔して。お偉い頑固親父共に絞られたか?」 とんでもない発言だった。桂丸の後ろの臣達は途端に苦い顔になる。 「まぁな」 しかし桂丸はくすくす笑うだけで何も言わない。言ったのは奥からやって来た女将と主人だった。 「こりゃ馬鹿息子!お前御屋形様になんて口をお利きだい!」 母親がばしりと背中を叩けば父親もその横っ面に肘鉄を入れる。 「ご無事で何よりです」 息子の方は全く無事ではない。 「そう言えば巧造お前、おりんちゃんと縁談が決まったそうじゃないか」 肘鉄に大層痛がっていた巧造が桂丸を振り返った。しかしそっぽを向いてしまう。 「…………まぁ…な…」 照れ屋め。 「すまなかったな」 一家はきょとんとする。 「父が身罷ったせいで祝言を挙げられないだろう?」 当主の死去とはそういう事だった。一年の間、その郷ではあらゆる祝い事が出来ないのだ。 「何を仰います!」 主人は桂丸が気にする事ではないと訴えた。逆に父母を失った桂丸を気にかけさえする。先日侍女に集められた面々はさっと顔を逸らせた。 それでも申し訳なさそうにする桂丸にならば何か買って行けと巧造は言う。 「そうだな…――じぃ!」 呼ぶと駕籠から猗左衛門が顔を覗かせた。 「孫たちに土産を買う。何が喜ぶ?」 「いえ、そのような…」 「森口様の所の坊らなら大福が良いでしょう。よくうちの末っ子に持たせるのですが、喜んでくれますよ」 主人は包んでくると言って女将と共に店に引っ込んだ。その背中を何とはなしに見送った桂丸は店の隅に小さな姿を見つける。 「こんにちは」 目線を合わせるよう屈んで笑いかけると、子供は口を尖らせて逃げてしまった。 こらっ、と兄が叱るがあかんべーをして奥に走りさってしまう。 巧造は困ったように頭を掻いた。 「すまんな。後でどやしつけておくから」 「いや、そんな…」 あの童とは何度か面識がある程度だった。幼友達に会いにまたは息抜きのついでにここに寄ると時々見掛けていた。挨拶程度の言葉を交した事はあったが逃げられるような事をした覚えはないのだが。 「晋次は若の遊び仲間だったんだ」 他に何の説明もいらなかった。 「―――私の分も買って行こうかな?若旦那お手製のがいいな」 立ち上がった桂丸に、こんな時だけ若旦那呼ばわりかと巧造はすねてみせる。 「なら二人分買って行け。屋敷に帰ったら懐かしい客が居る筈だから」 客? 「あ〜でも、お前がいないのによそ者を屋敷に上げたりしないか…。なら鎬把のとこに居るかな。んじゃあ三人前」 どうも五代目の弔問客と云う口ぶりではない。 「誰だ?」 渡された包みを駕籠の猗左衛門に、自分で包んだ方を桂丸に渡すと、巧造は悪戯っぽく笑う。 「内緒」 しかしそれは直ぐに分かった。 団体を引き連れて公邸に戻る途中、一柳邸の前を通った時だ。 「隆茉!」 降ってくる声に屋根を仰ぐと鎬把と煎餅を頬張るもう一人。 「……八朗……?」 口をもごもごさせながら、その男はひらりと手を振った。 [*前へ] [戻る] |