空の狗/緋色の地‐4 そのような攻防を何度か繰り返し、栄斉はようやく口を閉ざした。しかし天狗を睨みつけるのは忘れなかった。 「もう!栄斉!!」 隆茉の怒りにも、遂には顔を背けて遣り過ごす始末だ。 そこへ足音高く小さな姿が飛び込んできた。スパンと音を立てて開いた襖に皆が注目する。 息を弾ませ寸の間座敷に視線を巡らせた子供に、のそりと立ち上がった裄邑が渋い顔をした。 「何をしている」 「父上……、あ…」 鎬把が何の為に忍び込んできたか、隆茉には手に取るように分った。自分と同じに決まっている。 子供同士で一瞬目が合うものの、直ぐに裄邑の巨体に遮られてしまった。 「ここは遊び場じゃないんだから勝手に入るなと言っているだろう。───申し訳ありません、殿。直ぐに連れ出します」 倅の頭に拳骨を落とした裄邑は先程天狗にしたのと同様に小さな体を小脇に抱えてしまう。鎬把は頭が痛いやら抵抗するやらで大騒ぎだ。 同じく娘を拘束している景実は苦笑しながらこれを止めた。 「分ったこうしよう。馨子に残ってもらって我らは一旦隣にでも移るから、お前は」 天狗を見る。 「ゆっくり食べていなさい。───いいかな?」 侍女は承知しましたと頭を垂れる。それに頷き返し、景実は娘を抱えたまま立ち上がった。 自分も残ると言い出す栄斉を無理矢理立たせ、一同は場を隣に移した。 「……大丈夫……?」 隆茉は痛みに滲む涙を堪えている鎬把にそっと尋ねた。畳に放り出された鎬把は頭を抑えながら首を振る。 「大丈夫じゃな」 「男なんだから大丈夫だろ?」 しかし無情にもその父親は声を被せてくるのだ。 恨めし気な視線を送るもすげなく無視されてしまった鎬把は、歳上の幼馴染みに天狗の事を尋ねた。 「よさのはちろうもとちか、って言うんだって」 聞き出せたのは名前だけだ。はちろうもとちか?と矢張首を傾げる鎬把に、馨子の台詞を繰り返してやる。 大人達が絡むから碌に箸も進まなかったのだと現状を説明し、隆茉はそっと共闘を持ちかけた。 「このままじゃ話が終わったらあの子に何されるか分かんないよ。とりあえず栄斉を何とか食い止めなくちゃ」 それで合意してはみたものの、果たして可能なのかと早速不安になる。大人三人の中で一番年長の癖に一番若々しく、一番厄介な相手だ。 対応策をコソコソと相談していると栄斉が振り返ってにこりと微笑んだ。 「!」 隆茉と鎬把はとっさに口をつぐむ。ゆらりと立ち上がる栄斉に肩を撥ね上げたところで「ぷっ…」と桂丸が吹き出した。笑いを含んだまま年上の配下を見上げる。 「栄斉、あの天狗の子に悪意を持って近づくことを禁ずる。内心どう思っていようがお登紀にするように優しく接してやれるなら別だが?」 だらしなく両足を投げ出した格好のまま桂丸は子供達に笑いかける。高々と聳えていた壁をたった一言で打ち砕いた。 隆茉も鎬把も大いに喜び安堵した。が、それも束の間の事だった。 「うちの家内にするようになんて、貴方が御台様に向ける愛情を馨子殿にも等しく注ぐくらい無理な話ですな。しかし殿、貴方に降り注がんとする災いを排斥するのが私の役目である以上、何と言われようと問題の芽は摘ませて頂きます。あの童のせいで霊山が難癖つけてくるのは火を見るより明らかではありませんか。速やかに対処せねば」 今にも隣へ踏み込みそうな勢いである。その時だった。襖の向こうから侍女の声がかかったのだ。 「さて」 のそりと立ち上がった桂丸は管領に同行するよう命じると首を戻して 「子供達と此処で待て」 と栄斉に言いつけた。 「桂丸!」 「父さま!」 栄斉と隆茉が揃って抗議の声を上げたが桂丸は全く意に介さない。 子供らの頭を撫で、裄邑を引き連れ出て行った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |