空の狗/緋色の地‐2
その鎬把も先程裄邑に襟首を掴まれ連行されてしまい、客間には天狗の子供と見張りと隆茉のみ。
夜になって父が顔を出したが、ちらりと振り返っただけで隆茉は答えない。
「姫様、目が醒めたら、真っ先に姫様にお伝え致しますから」
見張りの男にそう言われ、隆茉は渋々家に戻ったのだ。
翌日、朝餉を終えた頃、昨日の見張りが本宅にやって来て子供が目覚めたと言う。父が立ち上がるより早く、隆茉は公邸へ駆け出していた。
子供の部屋に辿り着くと、そこには既に先客がいた。桂丸付きの筆頭侍女お梅婆と渡栄斉だ。
「おや姫様、お早うございます」
にこりと笑った栄斉は、なんと刀を抜いている。子供は頭から布団を被り、隅で顫えていた。
「駄目!!」
慌てて栄斉の腰にしがみ付く。
「お退がり下さい。危のうございますよ」
危ないのはこの男である。
隆茉を腰に纏わり付かせたまま栄斉は切っ先を天狗の子に向けた。
「何度も言わせるな童。何の目的でこの地に参った。ここが篁夜連において序列四位を賜る桂丸の領地と知っての狼籍か」
淡々と喋る分だけ恐ろしさが引き立った。
流石に親子で統矢と似ているが、こちらには歳の分だけ笑顔の下に凄みがある。
このままでは斬られてしまう。
「お婆!一緒に止めて!!」
「子供とは云え侮れませぬ。油断大敵火がぼうぼう申しますれば」
お梅婆はちょこんと座ったまま動こうとしない。それどころか栄斉の邪魔をするなと窘めてくる始末だ。
意を決して隆茉は子供と栄斉の間に立ち塞がった。両手を広げて栄斉を睨みつけ、そろそろと子供のところまで後退する。
布団の上から天狗の子を抱き締め、再び栄斉を睨めつけた。
これには流石の栄斉も切っ先を下ろす。しかしまだ抜き身のままだ。
「お止め下さい姫様」
手を差し延べられるがぶんぶんと首を振って拒否する。
そこへようやく桂丸がやって来た。
部屋の様子に目を白黒させる。
「何だ?修羅場か?」
しかし桂丸の登場に平静でいられなかったのが天狗の子だ。
栄斉の脅しで既に極限状態だったのだろう。桂丸を見た途端「ひっ!!」と短く悲鳴を上げた。
「あ……赤鬼―――!!」
子供は怯んだ隆茉を突き飛ばし障子を蹴破って逃走した。
当然追い掛けようとする栄斉を制し、桂丸は「大丈夫だ」とにやにや笑う。
梅が唖然としたままの隆茉を抱き起こしていると、子供の騒ぐ声がどんどん近付いてきた。
「おや、お揃いで」
顔を出したのは裄邑だった。その小脇にはしっかりと天狗の子が抱えられている。
「放せ───!! 喰われる!喰われる〜〜!!」
裄邑は子供がジタバタと大暴れするのも物ともしていない。あまつさえ、未だ刀を抜いたままの栄斉と軽口を言い合う。
「どうやって喰ったら美味いかなぁ?」
「こんな童じゃあ、大した肉にはならんだろう。だし取って鍋にするとか」
「天狗鍋? 季節じゃないだろう」
子供がぶち破った障子から差し込む朝日が刀に反射してきらりと光る。
見慣れている隆茉でさえぞっとする笑みを栄斉が浮かべたものだから、子供は更に恐慌した。
「その辺にしておけ、お前たち」
それまで愉しげに傍観していた桂丸がようやく家臣を止める。屈んで子供と視線を合わせると、無茶苦茶に暴れる小さな頭をガッと掴んだ。
「それ以上騒いだら、その口縫いつけるぞ」
効果覿面だった。
隆茉からは父がどんな顔で言ったのか見えなかったが、子供は絶句、硬直し、だらだらと汗を流し始めている。
自分を抱えている熊男よりも刃をギラつかせる優男よりも、目の前の「赤鬼」の方が恐ろしいようだった。
「いい子だ」
掴んでいた手で頭を撫で、桂丸はにこりと笑う。
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