梟は紅錦に添う -2 亡き景実より七つ歳上だと聞いたが、何年経っても殆んど変化のない優面が八朗の傍らで立ち止まった。この涼しげな風貌は、確りと息子の統矢に引き継がれている。 「桂丸は?」 直ぐそこの部屋から侍女達の楽しげな声が聞こえて来る。栄斉はそちらに視線を向けながら尋ねてきた。 「あ…、着替えを…」 「ほぅ」 八朗に座るよう促し、栄斉は自分も縁側に腰掛けた。天狗は言われるままそろりと隣に座る。 正直言って、八朗はこの人が苦手だった。 「何故来ない」 唐突に訊かれ、ギシリと体が固まる。 「はっ?」 「一度挨拶に来たっきりで……。また来いと言っただろう?」 隆茉が裄邑から申し送りを受けていた五日のうちに、八朗は新当主に付き従って郷を空けていた家臣団の挨拶周りに出ていた。栄斉の所へは忙しい頃合いを見計らって訪なったのだ。 案の定忙殺されていて文机から顔も上げない。さっさと挨拶だけ済ませて腰を上げたところで 「また来い」 とだけ、確かに言われていた。 「……いや……お忙しいのに邪魔をしてはと……」 「それは粗方片付いた」 だからこそ隆茉も八朗の相手が出来るのである。 答えられずに口篭る天狗をくすりと笑う。八朗が恐る恐る視線を向けると栄斉の流し目とかち合った。 汗が滲むのを感じていると、男は背後を振り返って言う。 「与謝野よ、一つ頼まれてくれ」 栄斉の視線は微動だにしない。八朗には絶対に向けない慈愛に満ちた目で隆茉の部屋の障子を見つめている。 「桂丸を何処か一人になれるところへ連れ出してもらいたいのだ」 出来るな?と問われ一旦は頷いたものの、何故と訊き返さずにはいられない。隆茉は襲名して間もなく、今が一番大変な時期の筈であった。 それに加えてあの栄斉が大事な主を自分に託すという事自体、裏があるように思えてならない。 逃げ腰になる天狗に構わず、空でも山でも沢でも何処でも構わないから兎に角隆茉が人目を気にしなくて良い場所へと注文をつけてくる。 「少し息抜きをさせて来てやって欲しいのだ」 「息抜き……ですか……」 ここでようやく栄斉が八朗へ視線を戻した。 「お前はないものとして振舞え。千雫の君の従者ならば出来るだろう。───よもや桂丸に不埒な真似をするような事は──…」 八朗は慌てて首を振る。そんな事をしようものなら今度こそ切り刻まれてしまう。栄斉の左手が脇に置いた刀を握っていた。 「……しかし息抜きするなら甘味処とか呉服屋とか、他にもあるのでは…?」 何もそんな寂しい所に行かなくても良さそうなものだ。すると栄斉は、ああ違う、と言い直す。 「一人にしてやりたいのだ。気持ちの整理を付けたくとも、我々が居たのでは強がって涙も出せんようなのでな」 かと言って本当に一人になど出来よう筈もない。どうしようかと考えあぐねて居た所へ折り良くやって来たのがこの天狗だった。 「丁度良く現れすぎな気もするがな」 探るような目で見られ、八朗は口を引き締める。それには裄邑にも尋ねられた事だった。 先代の断命日は彼の体調を考慮して急遽決まったのだ。精々が近隣へ通告するくらいで、余所へ触れなど出してはいない。 弔問客は少し前から増え始めているが、どれも周辺からの客だ。伊庭の、更には天狗の耳にまで届くには早すぎる。 栄斉の強い視線に八朗は目を泳がせる。裄邑から硬く口を封じられてはいるが、この事実を栄斉が知らないわけがないと思い直した。景実との付き合いは、裄邑よりもこの男の方がずっと長いのだ。 「……襲名式の日に、丁度三呂伏に居たので……」 栄斉は静かに、矢張そうか、と呟く。秋晴れの庭にひゅるりと風が吹き込んだ。 「若は……」 「泣いていました」 そうか、とまた呟いた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |