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憂いの痕 -3



 秋風が隆茉の髪を撫でた。八朗はサラサラと音のしそうなそれを横目で眺める。
「──お前、髪は結わんのか? 昔は結い上げていたろう」
「……説教は終りか?」
 ちらりと振り返ってくる様に眉間の皺がまた増える。八朗は空いた座布団を指差した。
「所望するならしてやろう。さぁ座れ」
「いや、いや」
 首を振った隆茉は髪を一房取り上げる。
 黒かった頃は確かに結っていた。しかし今となってはそれはしてはならない事の様に感じるのだ。
 桂丸に限らず、郷の当主は男が務めてきた。あの場は男の世界だ。故に簪や櫛を持ち込むのを躊躇っているのかもしれなかった。
 同じ理由から袴を穿く回数も増えている。
「そう言えば梓野にも良く言われるよ、それ」
 隆茉の姉やの顔を思い出す。すっかり冷めてしまった茶を飲み干すと、八朗はよし、と膝を打って立ち上がった。
「儂が結ってやろう。櫛はあるか?」
 騒ぎを聞き付けた侍女が道具を用意すると、一緒にやって来た梓野が八朗が進呈した着物を着てはどうかと言い出した。
「仕立ててある物が幾つかあるので持って来ます」
 葛籠の中身は丸々一室を占領して広げられている。衣桁を四つも五つも持ち込んだ為大した圧迫感である。
「お前が髪結いまで出来たとは知らなかったな」
 取り合えず櫛を入れるからと背後に回った天狗に言うと、低い声が返ってくる。
「やれと騒ぐ糞生意気な小娘が居てな」
 隆茉の髪は櫛削る必要の無い程の滑らかさで櫛を通していく。
 侍女が隆茉の前に鏡を置く。映った白い顔が呆れたように溜め息を零した。
「お前……、侍従の分際でそんな事言って良いのか?千雫の君の事だろう、それ」
「糞餓鬼を糞餓鬼と言って何が悪い」
 主に対して言って良い言葉ではないと言っているのだ。
「……何だか、私も言われていそうだな」
 特に翁衆らは未だ不満を燻ぶらせている。
 今は目立った動きはないが、それも時間の問題だと裄邑は言う。先ず第一は翁衆を屈服させる事だと。
 ──全く、簡単に言ってくれる。
「……髪の事で一悶着あったと鎬把に聞いた」
 隆茉は舌打ちした。尉濂の事といい、どうもお喋りが過ぎる。
 鏡越しに八朗と目が合った。何か言いたそうに口をもごもごさせていたので促すと、答えられる範囲で良いからと端切れが悪い。
「……裄邑様も鎬把も、この髪を問題とは思っておらんようなのは何故なのだ?他の者はあの裄邑様が困憊する程異義申し立てたそうだが」
 櫛削る手は停まっていた。
 隆茉は何故八朗がこんな事を訊ねてきたか考えて、薄く笑った。
 この天狗は昔からこちらの政の仕組みに対して異論を挟む事はしなかった。余所には余所のやり方が有ると解っていたからだ。
 しかし唯一父に食って掛ったのが当主交替に関する一連である。
 髪が先代のようにならなかったのが当主として相応しくない証左なら、隆茉の襲名自体を無効としてしまえば……
 隆茉は視線を横へ滑らせる。
「……特有の痣が出るんだ」
「………」
「それを知ってるのは一握りで、翁衆だった爺様は知らない」
 鏡に映った天狗は忌々しげに眉を寄せていた。再び櫛が髪を通っていく。
「……背後には十分気を付けろよ。──信じ難い事に、この郷國では外界との接触を絶つという駄賃さえ払えば当主殺しがまかり通る。何かあってからでは遅いん……、何だ?」
 振り返る隆茉に尋ねる。吃驚したような顔をしていた。
 暫く沈黙した後、隆茉は首を戻して鏡の中の友に答える。
「……前に、夢でお前に同じ事を言われたと思ってな」
「夢?」
 頷く。
「お前と溯と───父さまが出てくる夢だ」
 八朗が詳しく尋ねるようとした時、着物や小物を抱えて梓野が戻ってきた。



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